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続 がんばれ!はるかわくん! -15-
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春 川
《 DATE 2月14日 午前11時23分》
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目を開けると、まぶしかったのは、なんだ、天井の蛍光灯の明かりだった。
ひたいのうえに、あたたかくて、少し重みのある、やわらかいものがのっている。
(…なんだろう。)
視線を上に向けようとしたら、それはビクッと軽く震えてひたいから離れた。
(手…?)
次に上からひとが覗きこんできた。
(ヒミズさん)
俺はどうやらヒミズさんの腕のなからしい。
(…なんで…?)
見覚えのある天井。
確かに、俺の部屋のはずなんだけど。
「アンドウ!」
ヒミズさんが前を向いて少し乱暴に言う。
……『アンドウ』?
アンドーさん?
ぐらぐらと体を揺さぶられ、下に落ちそうになる。
「…や」(やめてください)
言いたいけど、声がうまく出ない。しがみつくと、体の揺れはおさまった。
「なにやってんのよ、そのままでいいからちゃんと支えときなさいよー。」
……本当だ、アンドーさんの声がする。
「…目が、覚めたみたいだから、診察を…」
ヒミズさんが、珍しくどもりながら話している。
「もーおバカさんねえー。頭を動かしちゃダメって言ったでしょう。」
「……。」
ヒミズさんの腕が硬くなった。
…どうしたんだろう。ヒミズさんの様子が変だ。
「ハイじっとしてー。」
右頬を触れられて、はっとして目を開くと、アンドーさんが目の前にいて、いきなり指を俺の目に向かって伸ばしてきているところだった。
「…っ」 (なにを…!?)
思わずその手をはらう。「え、ちょっと、」
言いようのない不安感に襲われる。俺の体には、まとわりつくあのひとの吐息の感覚がまだあった。
…これは、幻覚か?
目の前にいるのは、本当に、本物のヒミズさんで、本当に、本物のアンドーさん?
俺は、幻覚を見てるのか…?
…死んだのか?
背中を小さく丸めて、じっときつく目を閉じた。
夢なら、覚めるはず。
死んでいるなら…どうなる?
「な、なによう、どしたの春川ちゃん、アタシだってば」
「よせ、アンドウ。」
まだ、目は覚めない。
(…なんなんだ…?)
なにが起こったんだ?
(…あのひとは?)
…――店長、は…?
「ハル。」
(店長!)
顔を上げると、怪訝そうなアンドーさんの隣に、俺を見ている店長の顔が見えた。
「……ッ」
ああ!あの顔だ。俺の大好きな、店長の顔。
ヒミズさんが背中を押して俺を起こしてくれた。
俺の体は驚くほど軽くヒミズさんの体から放たれて、両手が伸びた先へ、店長の胸へとまっすぐに向かった。
すがりつくように夢中で飛び込む。
「…ハル。」
店長の困惑した声。何か言うべきだ。
でも、店長のあたたかい胸のなかで、なぜか涙が止まらなくなってしまった。
「…変なコ。なんで泣くの?」
「怖かったんですよ。…もう、大丈夫だから、春川。」
ヒミズさんに優しく言われると、なぜだかますます泣けてきてしまう。
「ハル…。」
店長が俺の頭に手を置く。その手が、俺の髪を優しく撫でるのがわかる。
心が、ほどけるように癒やされていく。
まるで、すべての傷口が静かに癒えていくようだった。
心のどこかが、息がつかなくなるほど温かくなって、そこにある、無理やり縫い付けていた傷口の糸が、とろけるように優しくほどけていくような、不思議な感覚におちいる。
「ねえ、きみを助けたのは、ぼくじゃなくてヒミズなんだよ、ハル。」
…俺は、助かったのか?
ささやくように言われて、ようやくそう思う。
でも、どうやって?
あのひとは、どこへ行ったのか。
さっきまで一緒にいて、あのひとだけが落ちて行った、あれは、…あっちが、夢だったのか…?
それとも、やっぱりここはこの世じゃなくて、すべてが、死ぬ間際の、俺の夢…
「どこ行くの、ヒミズちゃん。」
アンドーさんの声。
「腕がしびれた。」
ヒミズさんは立ち上がってどこかに行くようだ。
店長のぬくもりのなかで、徐々に、俺は覚醒していく。涙もひいてきた。
「……意外。」
アンドーさんがすぐ近くで店長に小声でささやく。
「…ヒミズちゃん、嬉しそうにしてた。アンタに春川ちゃん奪われてんのに。……あんな顔、初めて見たわ。」
「…ぼくも驚いた。きっと彼は、ハルが嬉しいことが、嬉しいんだね…。」
店長にしては神妙な声色でアンドーさんに答えている。(言ってる意味はよくわからない。)
「聞こえてますが!」
玄関のほうからヒミズさんの怒った声がする。キッチンにいるようだ。
(…今、ヒミズちゃん、きっと耳、真っ赤よね。)
アンドーさんが寄って来て、ものすごい小声で言う。
店長が少し震えて、声を抑えて笑っているのがわかる。
アンドーさんに挟まれる形で店長に密着しているので、店長の白いセーターの向こうにある胸の鼓動が聞こえてきそうだ。
(…実際に、心臓がバクバクいってるのは、俺だ。)
…ということは。
俺は死んでいるんじゃ、なさそうだ。
涙はすっかり止まっていて、でも、これが現実なのだとしたら、今の、自分のこの子どもじみた行動が、今度はだんだんと恥ずかしくなってきた。
店長に抱きついてしまっているのだ…しかも泣きながら。
「あらあ、アンタ、髪の毛いい匂いしてるわねえ。ゲストルームのシャンプー使ったのね、一人でちゃんと洗えて、エライわねえ~。」
…アンドーさんがまるで子どもに接するように俺に言う。
ほら、子どもみたいだって思われてる。
「はーい、こっち向いてね、ちょっとお顔見せて~。」
(…絶対、いやだ。)
バカにされるのが目に見えてるし、泣きはらしている顔なんか見られたくない。
すると今度は店長が楽しそうな声を出す。
「あんまり怖がらせると咬まれちゃうよアンドー。このコ、予防接種まだなんだから。」
…店長に至っては、…コメントが人間以下…。
キッチンからヒミズさんの舌打ち。
「春川はペットじゃないと言ったでしょう。わかってますよ、おもしろがってるだけなのは。ちゃんと春川の容体を確認して……はあ。何もないな、このキッチンは…」
キッチンの引き出しや物入れを開けたり閉めたりする音が聞こえている。
「ほらこっち!」
アンドーさんが乱暴に俺の腰を引っ張る。
「い!やです!」
「あらちゃんと喋った。意識レベルは良好みたいね。」
「ほんとだ。ハル、アンドーにちゃんと診察してもらえって。」
「大丈夫なんで!俺!すみませんっ」
「きみの大丈夫は信用ならないんだよ。」
…うっ…。
でも、なんと言われようと、今の顔は見せられない。
アンドーさんがまた俺を引くので、こっちも必死で店長にしがみつく。店長が笑いながら言う。
「のびちゃう、のびちゃうってセーターが。…わかったよ、ハル。いいよ。そのままで。…あ、そういえばハル、スケッチブック見たけど、絵、すごくうまいね。一枚だけドラえもんがいたけど。」
「えー、なに、なんの話?」
…えっ。
ええ!
見たのあれ!
スケッチブックには、俺が描き散らした店長の顔やら腕やらヒミズさんやらが……やばいっ!
(うわ!全部広げられてるし!)
「あわわ…」
とっさにスケッチブックを拾いに行こうと体を動かして、店長の腕に押さえ込まれる。
「きゃー顔、真っ赤!かーわいい春川ちゃん!」
…しまった。
「はわ!あ、ちょっと…」
店長にひっくり返される。
手首をつかまれて広げられると、前からアンドーさんが馬乗りになってきて、シャツごと服を上にあげる。
「ちょっ…」
あごをつかまれ、顔を左右に傾けられて、次に首筋を触られ、今度は胸を触られる。
「やっ…」
「ケガしてる?」
「…首にアザが出来てるわね。でもこのくらいなら…あら、この火傷はちゃんと処置しないと…」
「…やめてくださいっ」
「精密検査したほうがいいかな。」
「意識がこれだけしっかりしてれば、もう少し様子を見ても…ここ、痛い?」
「んっ!」(いたたた!)
体をよじろうとするが、店長の腕にはばまれてそれができない。
「あらウフ感じちゃった?ここは?」 …ちょっともう限界…
「…ヒ…」
――ヒミズさんっ!
アンドーさんの手が離れた。
驚いたように俺を見てから、俺のうえの店長を見る。
「…このコ、いま、ヒミズちゃんを呼んだ?」
「…呼んだね。」
店長も、意外、という声を出す。
自分でも、意外だ。なんでヒミズさんの名前が出てきたんだ。
「……げっ」
アンドーさんは目をますます大きく開いて、店長の後ろのほうを見た。
「なに…うわっ」
今度は店長が俺を持ったまま背中を反転させて、見ると、ヒミズさんが包丁を手に持ってキッチンのほうからこっちをにらんでいる。(こわ!!!)
アンドーさんが慌てたように俺と店長から離れて立ち上がる。
「イーヤ、イヤイヤ!診察してただけだからアタシ!なんにもしてないったら!」
「そーだよヒミズ!落ち着いて!人間サイボーグみたいな顔になってるよ!ほら、ヒミズ、見て!ハルだよ!ほら、人間に戻ってっ」
えっ、店長なんで俺を盾みたいにするんすか!俺だってこわい!
ヒミズさんはそのまま部屋に入ってきた。アンドーさんが悲鳴をあげる。
「ちょっとどーするのそれ!早くしまってよコワイから!」
「…いや。これは…。」
ヒミズさんは無表情でちょっと包丁を見てから、部屋の入り口にあった例の白い箱へと向かった。
大事そうに持ち上げると、こっちにやってきて、店長の前に…俺の前に、静かに置いた。
「開けてみて。」
正面で正座をしたヒミズさんが俺に言う。
「ビビッたあ~…」
アンドーさんのため息。
店長が俺を抱えなおして起こしてくれた。
店長に背中を包まれたまま床に座って箱を見る。
―― これを開けると、中から白い煙が出てきて ……
この箱を受け取ったときのばかばかしい想像がふと脳裏をよぎったりする。
今のこの状況は現実味がなさすぎて、いい夢から覚めてしまうんじゃないかと、今は逆にそれがこわい。
俺が動かないので、店長に俺が不安がっていることをさとられたようだ。店長は俺を軽く抱きしめてくれた。
「開けてみなよ、ハル。きっとすごくいいものが入ってるよ。」
………。
「……はい。」
箱に手を置く。
両手で、硬い厚紙で出来た箱の横側をはさむようにして持ち上げてみると、箱は底から分離した。
さらに静かに持ち上げていくと、床のうえの厚紙に丸いレース模様の紙が敷かれてあるのが見え、やがてそのうえに、白くて丸いものが現れた。
箱を全部あげきると、イチゴがいくつか見えて、それは、小さめのホールケーキだった。
ヒミズさんが箱のふたを俺から取り上げてくれたが、俺はそのまま固まってしまった。
「ほらね!いいものだった。」
真後ろから店長がうれしそうな声を出す。
「…誕生日おめでとう。春川。」
ヒミズさんの声がする。
「誕生日だったの、春川ちゃん。おめでとう。」
アンドーさんも、なぜだかうれしそうな声。
俺は、固まったまま、また涙が出てきてしまっていた。
――さっきまで。
さっきまで、あのひとと、どん底の暗闇にいたのに。
今は、大好きな店長の腕の中で、こんな真っ白のケーキを目の前にして…誕生日を祝ってもらっている。
いや、やっぱり死後に見ている俺の幻覚なのかもしれない。
それでもいい。だとしたらここは、天国だ。
それとも、店長がいつか言っていた、パラレルワールドなのかもしれない。
あのひとも、俺の汚れた過去も、本当に、無かったことにできたのかもしれない。
「…また泣いちゃった。今度はヒミズちゃんが泣かしちゃった。」
「え…っ」
あわてて服の袖で涙を拭いたが、涙は次から次へとあふれるように出てきて、止まらない。
「嬉しいんだよ。良かったね、ハル。」
お礼を言いたいが、のどがヒリついて声が出ないので、店長の言葉にガクガクとうなづいた。
「こんなナイフしか、ここには無くて。」
「…ナイフ、というか、文化包丁ね、ヒミズ。」
ヒミズさんは包丁でケーキを6等分すると、1ピースを紙皿にきれいに取って俺に差し出してきた。
まわりは生クリームでコーティングされているが、中のスポンジはチョコレートのようだ。スポンジは2層になっていて、クリームとイチゴがサンドされている。引越しのときにヒミズさんが食べさせてくれたケーキに似ていた。
紙皿の上には、コンビニのプラスチックのフォークものっている。
うちにはちゃんとした皿もフォークも無いから、こんな立派なケーキにそぐわず、申し訳ないと思った。
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