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4. 太陽の下で

 白く強い光が、瞼の裏側まで突き刺さる。遠くのほうから、波の音がかすかに聞こえてくる。薄っすらと目を開くと、壁に掛けられた自分の白いTシャツが視界に入った。 「トオル?」  ベッドの脇から、不安そうな声音が聞こえてきた。身体を起こそうと身じろぐと、腰のあたりが鈍く痛むのを感じる。 「……大丈夫?」  懐かしい音に一瞬驚き、声の持ち主と視線を合わせる。 「日本語……」  ユージンは透に向かって寂しげに微笑む。 「憶えていないかな、僕のこと」  そう言ってベッドへ腰掛け、透の髪に触れながら続ける。 「砂浜に座る君を見つけて、奇跡だと思ったよ。まさか僕を探しにきてくれたのかと思った」  髪の一本一本を慈しむように指先でそっと持ち上げる。 「でも君はいつまで経っても動かないし、僕の顔を見ても何も言わなかった」 「……」 「僕たちは子供の頃に会っているんだ……日本で」  手の温もりが、一瞬で離れていく。 「父の仕事で一年間、日本にいたんだ。帰国する一ヶ月前に、学校の帰りに空き地でボールを蹴っているトオルと出会った。トオルは僕を誘って、一緒にボールを追いかけて……」  掌をじっと見つめながら、呟くように続ける。 「短い時間だったけれど、僕にとっては忘れられない思い出だった。君のことを、ずっと――」 「気づいていたよ」  伏せられていた瞳が、透へと向けられる。アクアグリーンの色が鮮やかに変化する。 「途中から、だけど……君はもっと小さくて、髪も長くて……色だってもっと明るい金色だった。それに」 「それに?」 「ジーン、君はそう言っていた。あの時君は日本語を話せなかった」  今度こそはっきりと、ユージンは顔を綻ばせた。 「そうだ、ジーンは僕のニックネーム。髪の色はだんだんと変わってしまった。ユージンと言ったのは、君が僕をまったく思い出す様子がなかったから、それで、その……」 「腹が立った?」 「うん、まあ、そういうこと」  ユージンは照れ臭そうに頬をかく。 「日本語は必死に勉強した。いつか日本に戻って、君に……会うことができないかって。あの街にも一度行ったんだ。そこに君はいなかったけれど」  二人で同じ時を過ごした、小さな空き地を思い浮かべる。ユージンの無邪気な笑顔は、思い出の中のままだった。 「でも、こうしてまた会うことができた。君は何も変わっていなかった――この黒い髪も、目元のほくろも、ピンク色の頬も……小さな唇も」  そう言いながら親指で触れていき、最後に優しく口付ける。至近距離で視線を合わせると、瞳の中に穏やかな表情をした自分の姿を見つけることができた。 「トオル、――――」  再び唇を寄せようとしたユージンの肩を、手で押しとどめる。 「それ、なんて言っているの?」  長い睫毛をぱちぱちと瞬かせて、ユージンが問い返す。 「それって?」 「その、――――?」  先ほどユージンが透に告げた言葉を口にすると、ユージンは思い切り頰を緩めて微笑んだ。 「もう一度言って?」  あまりにも嬉しそうな反応に、透は思わず口を噤んでしまう。腕を大きく広げて、壊れ物を包み込むように透を柔らかく抱きしめながら、ユージンは耳元で囁く。  昨夜何度も繰り返されたその言葉は、長い間、ずっとずっと、誰かから与えられることを焦がれていたものだった。甘い響きとともに、とろけてしまいそうなほど優しい口づけが降ってくる。窓の外では、太陽の光を浴びて青く輝く海が、変わることなく在り続けていた。 * 「トオル」  突然現れたその姿に、声も出ないほど驚く。  必ず会いに行く、待っていてと言われても、その言葉をどこまで信じて良いのかわからなかった。もしかしたら二度と会うことも叶わないかと、心を引き裂かれる思いで別れを告げたのは、わずか一週間前のことだ。 「どうして……?」  透の反応はユージンを充分に満足させたらしい。楽しげに笑う姿を、透は呆然と見つめる。 「一年前から、日本で仕事をしていたんだ。言っただろう?君に会うために勉強したって」  動くことができないでいる透の手を取り、甲に軽く口づける。 「ずいぶん遠回りしたけど、君に会いに来た」  明るい陽射しの下で、彼の瞳がきらきらと輝く。 「さあ、行こう!」  透の手を引き、ユージンは軽やかに歩き出す。  夏は、まだ始まったばかりだ。 ~Fin~

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