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水無月(8)

 二年生のレースが終わり、いよいよ翼達三年が入場門をくぐって、フィールド内の待機位置に着く。  翔太の『儀式』のおかげで、気持ちはかなり落ち着いている。  第一走者がスタートラインに並び、体育教師がスターターピストルを高く上に上げる。 「位置について……用意――――」  緊張の一瞬。  大きな音と同時に、第一走者がクラウチングスタートの姿勢から飛び出していく。  スタートライン辺りに立ち込める火薬の匂い。  歓声と叫び声。  ラストの競技とあって、グラウンド中が盛り上がる。  翼もフィールド内の待機場所でじっと座ってはいられなくて、皆と同じように立ち上がり、声援を送っていた。  青のハチマキをしている翔太のクラスがダントツの一位でバトンが回っていく。  翼の前の走者、9人目の女生徒は2位の位置をなんとかキープしている。 (あー、あの距離じゃ、翔太は追い抜けない)  と、トラックの内側から2レーン目のスタート位置で手を上げながら、翼は思っていた。  青いハチマキの女子が、最後のコーナーを一番で走り抜けてくる。  翔太と同じクラスで、野球部のマネージャーの相田だ。  1レーンの翔太が後ろを見ながらバトンゾーンを走り始め、段々と加速していくのが視界の隅に映る。  相田の後ろに、赤いハチマキのクラスメートが見えて、翼も翔太に遅れてバトンゾーンを走り始めた。 「翼くん!」  クラスメートがバトンを持った手を伸ばして叫ぶ。  翼は前を向き、徐々に加速しながら、後ろへ手を伸ばした。 「GO!」  打ち合わせしていた合図とともにバトンを受け取ると、翼は全力でダッシュした。  ――前方に見える翔太の大きな背中を追いかけて。  翔太との距離はどれくらいだろう。差はなかなか縮まらない。  ずっと昔から、こうして前を行く翔太の背中ばかり見てきた気がする。  この距離は、ずっと昔から一定のままで、これ以上広がることも縮まることもきっとない。  それが一番良い関係なんだと、翼は思っていた。  最初のコーナーを周り、第二コーナーを抜け切り、ストレートに入ると、前方の翔太の背中が心なしか近づいた。 (……あれ?)  自分でも不思議なくらい、段々とその背中が大きく見えてくる。  翼のスピードが上がっているのか、翔太のスピードが落ちてきているのか、分からない。  だけど、どんどんその差は縮まってきている。  走っている間は、周りの歓声も叫び声も、何も聞こえない。  近づいてくる翔太の背中と、その向こうの白いテープだけを、翼の瞳はしっかりと捉えていた。  翔太の隣に外側から並ぶ。  それは0コンマ何秒のことだったかもしれない。  そんな一瞬の出来事が、なんだかとても嬉しくて。  次の瞬間には、クラスメートの歓声が聞こえて、翼の胸は白いテープを切っていた。

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