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文月(7)
翔太は、マウンドの土をならしながら帽子をかぶり直し、フーッと長い息を吐きだした。
そして前を向き、キャッチャーの水野のサインに頷く。
ワインドアップポジションからの一球目、速い球がキャッチャーのミットに吸い込まれるが、僅かに外れてボール。
二球目も際どいボールコースだった。
一球投げるごとに上がる歓声。心臓が破裂しそうなくらいドキドキする。
「翔太ー! 頑張れ!」
翼は無意識に大声で叫んでいた。
いつもなら、声を出して応援なんてしない。万が一翔太に気付かれてしまうのが嫌だったからだ。
毎回のように試合の応援に来ていることなんて、翔太には知られたくなかった。
マウンドの翔太がチラっとこちらに視線を向けたような気がして、翼は反射的にその場に座り込んでしまう。
(――今、目が合った?)
だけど翔太はすぐに外野の方へ向き、野手に声をかけている。
今の自分の声が翔太に届いて目が合ってしまったのかと焦ったが、気のせいだったようで翼はホッと胸を撫でおろした。
カウント2ボールから2球内角のストレートが続き、これで『ツー・ツー』になった。
その後の5球目。
翔太の指先から白いボールが放たれる瞬間を、翼はシャッターを押し、ファインダーの中に切り取った。
夢原高校のバッテリーが選んだ決め球は外角へのチェンジアップだった。
内への速い球をを意識させられていたバッターは、緩い球に不意を突かれ、バットは力なく空を斬る。
その瞬間、あらゆる場所から賞賛の歓声が上がった。
試合終了。そしてノーヒットノーラン達成だ。
「やったー! 翼くん、やったよ! 翔太!」
「うん、うん!」
翼は、泣きながら叫ぶ咲子と、いつの間にか手を握り合っていた。
マウンドへ駆け寄っていくチームメイト。
一番最初に翔太に飛びついたのは、キャッチャーの水野だった。
嬉しそうな翔太の顔に、少し切ない気持ちになってしまう。
自分も野球を続けていたら、あの場所で翔太と一緒に喜びを分かち合えただろうか。
そんな、考えても、どうにもならないことが頭を過る。
「おばちゃん、俺、先帰るね」
カメラと機材を片付け始める翔太に、咲子は不思議そうな顔をする。
「え? なんで? 私車で来てるから、一緒に乗っていき? 翔太も一緒に帰れると思うから」
「あ、ええです。俺ちょっと用事あるし……」
「そうなん? ほなまた……、2回戦も応援きたってな?」
「うん、行けたら行きます。あ、それと、俺が来てたこと、翔太には内緒にしててください」
「え? なんで?」
「えーと、ほら、取材したこと内緒にしてて、後でびっくりさせたいから」
「そうやね。ほな翔太には言わんとくね」
翼の苦しい嘘に、咲子は気付かずに満面の笑みを浮かべた。
*
ちょうど駅に着いた頃に、珍しく翔太から携帯にメッセージが入った。
一瞬、咲子が翔太に言ってしまったのかと焦ったが、メッセージの内容を見て、それは違うと思い直す。
『試合、勝ったで』
たったひとこと書かれていたその言葉に、翼は思わず苦笑して独り言ちる。
「知ってるわ……」
だけど返信には違う言葉を入力して送信した。
『そっか、良かったな!』
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