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文月(13)

 キャッチャーの水野のサインに頷きながら、翔太は手の甲で顎の下を拭う仕草をする。  スタンドの翼の位置からでは、翔太の顎の下を伝うのが、雨なのか汗なのかは分からない。  相手チームのスタンドの応援コール。ブラスバンドの演奏。メガホンを叩く賑やかな音。  まるでアウェイで試合をしているような雰囲気だ。  そして強くなるばかりの雨。  こんな時、マウンドのピッチャーは、きっと想像もつかないくらいのプレッシャーを感じているのだろう。  だけど翔太は、肩を落としたりしていない。  前を見据えて、バッターに集中する。  野手はスクイズを警戒しているのか、全体的に浅めの守備位置だ。  一球目、持ち前の剛速球が、打者の胸元を抉るようにインハイに決まる。  バッターの腰が引け、身体の軸がぶれた。バットを振ることができない。 「ストライク!」  この場面であの厳しいコースに投げれるなんて、やっぱり翔太は、まだ諦めていない。  二球目は、アウトロー。打者は手が出なかったが、またヒッティングの構えからスクイズに切り替える動作を見せた。 (やっぱりスクイズなんか?!)  内野がスクイズを警戒して、はっきりと前進守備の態勢になった。  三球目は、内角高めのボール球だった。バットが大きくスイングする。 (振った!)  どんよりと黒い雲に覆われた空へ、ボールが高く上がった。 「ああっ!」  周りから悲鳴に似た叫び声が聞こえてくる。  翼も心臓がドキリと跳ねた。  しかし、高く上がった打球は、レフトの方へ落ちていく。  普通のフライだ。普通なら楽にキャッチできたはずだった。  前進守備を敷いていたレフトが、全速力でバックする。センターも駆け寄っていく。  ボールが地面に落ちるギリギリのところで、レフトがスライディング。水飛沫が跳ねあがった。  グラブの中には、しっかりとボールが収まっている。立ち上がったレフトのユニフォームは、背番号も見えないくらいに泥だらけになっていた。 「アウト!」  審判の動作で、三塁ランナーの熊男がスタートを切った。タッチアップだ。  熊男は、大きな身体のわりに、走るのが速い。  渾身の力を振り絞って投げるレフト。中継はサード。そして、キャッチャーの水野へバックホーム。  水野がキャッチして、熊男が豪快にホームに滑り込んだ。  派手に泥が飛び散って、スタンドからはそのギリギリのタイミングが、はっきりと見えなかった。 「セーフ! セーフ!」  主審が大きく腕を左右に広げた。  相手チームのスタンドとベンチから喜びの歓声が沸き上がった。  

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