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文月(17)

 両チームのスタンドからの大声援に、球場全体が揺れるように盛り上がる。  この大声援の渦の中でも、翔太は落ち着いていた。  バッターボックスの手前で、二回素振りするのも、いつもと同じ。 「打てよ、翔太」  ファインダーを覗きながら、翼は小さな声で呟いた。  7回に4点を取られてしまったけれど、毎年地方大会初戦敗退の弱小チームが、甲子園出場校を相手に、ここまでよく頑張ったと思う。  入学した頃は人数が少なくて、大会に出れるかも分からない程だったのを、人を集め試合ができるまでになったのは、今の三年生が中心になって引っ張ってきたからだ。  キャッチャーで主将の水野は、普段は軽くて遊び人なイメージがある。だけど『良樹が主将になってから張り切ってるからな……』と翔太が言っていたように、今年は持ち前の強烈なリーダーシップでチームをまとめていた。  どちらかと言えば無口な翔太の気持ちの籠ったプレイも、皆の支えになっていたと思う。  夏の全国高校野球大会、100回記念で東兵庫と西兵庫の2地区に分かれているチャンスの年。  出来るならこのチームで甲子園に行ってほしい。  それは限りなくゼロに近い確率だと分かってはいたけれど、もう少しだけでも彼らの試合を見ていたいと翼は心から願っていた。  打席に立って、足元を均し、翔太はバットを構える。  ピッチャーが振りかぶり、足を上げ、ボールが放たれた。  スピードのあるインハイへのストレートだ。  ――翔太は、絶対初球から打ちにいく。  何故そう思ったのか理由なんて自分では分からない。だけど翼はそう確信して夢中でシャッターを切っていた。  翔太の足がステップし、腰が回り、バットが回る。そのスイングの風圧が翼の所まで届いたような気がした。  カキーンという快音が空間を突き抜ける。  翼はカメラから顔を離し、その軌跡を視線で追う。  綺麗な放物線を描きながら、白球が雲の切れ間から覗いている青い空へと溶け込んで、どこまでも飛んでいく。  「入った!」  誰かが叫ぶ。人が疎らな応援席で歓声が上がった。  空に拳を突き上げるようにガッツポーズをしながら塁を回っていく翔太を、スタンドから眺めていた翼は大声で叫びたい衝動に駆られていた。  ――アイツが俺の好きなやつ!  世界中に自慢したいと思った。  だけどその言葉を心の中だけで叫ぶと、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。  言いたくても言えない。それは、きっと一生、声に出すことのない言葉。  代わりに翼はシャッターを切る。  塁を回り、ホームを踏んで、チームメイトと順番にハイタッチをしていく翔太をレンズ越しに追いかける。  小さなファインダーの中に想いの全てを切り取っておきたかった。

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