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葉月(9)

「え? いや、あの……別に俺、一人で帰れるって……」 「ええから、()よおいで」  後ろを気にしている翼の腕を掴んだまま、水野は強引に歩き始めた。  翔太が相田のいる所まで辿り着き、こちらの方へ視線を巡らせて翼と水野の姿を探しているようだ。  翼は咄嗟に顔を伏せ、水野に引っ張られるままに歩き始める。  それからは、もう二度と後ろを振り返ったりはしなかった。 「駅の方へ向かってるけど、電車でええ? それとも歩き?」 「あ、電車で……帰るから……」  本当なら山側の神社まで行って、花火を見る予定だった。そうすれば神社から家までは歩いて帰るのにちょうど良い距離だった。  だけど、ここから神社までは、緩い上りの坂道がずっと続く上に、まだまだ遠い。  その上、さっきから鼻緒で擦れている指の間が、かなり痛くなってきている。  電車だと、たったの一駅だが、慣れない下駄では、もうこれ以上歩く自信がなかった。  それに、翼が電車に乗ってしまえば、水野も翔太達の所へ戻るだろう。  ―――そう思っていた。 「翼くんの家って、次の駅でええんやんな?」 「――て、なんで、水野まで切符()うてるん」 「なんでって、翼くんを送って行くからに決まってるやん」 「いや、もう電車乗ったら駅から近いし、大丈夫やし、ってか、なんで俺を送ってくれるんや? 別に送らんでええって!」  だけど水野は、切符を自動改札機に入れて、さっさと中へ入って行ってしまう。 「そんなん言うても、もう切符()うてもたし……ほら、電車来るで、()よ行こ」  翼は、小さく溜め息を零し、仕方なくその後に続いた。  *  時間はもうすぐ21時になろうとしている。  平日ほどではないけれど、電車の中は思った以上に混んでいた。 「一駅だけやけど、この混み具合は溜まらんな。蒸し暑いし」  ドア側に向かって立っている翼の後ろで、水野がそう言った。  この電車は、さっきの公園駅から次の駅までは、暫く地下を通る。  だから窓の外は真っ暗だ。  後ろに立っている水野の顔が、ドアの窓に映っている。  これだけ混んでいるのに、水野と翼の間には空間ができていた。  いつもの満員電車なら、ドアに押しつけられるような圧迫感は避けられないはずなのに、今日はそれがないのだ。  ドアに手を突いている水野が、翼を庇って立っているということは、窓ガラスに映っている後ろの様子ですぐに分かった。

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