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葉月(10)

 電車が地下から地上に出ると、大きなカーブにさしかかる。  ちょうど、さっきまでいた海側の公園方面が車窓から見える角度に、景色が変わっていく。 「花火が、よう見えるな」  背後で水野がそう呟いた。  車内の誰もが窓の外に釘付けになっている。  しかし翼だけは、窓ガラスに薄っすらと映る自分の唇を見つめていた。 (俺……さっきキスしたんや――翔太に)  咄嗟にしてしまった行動だったけど、あれが翼にとって初めてのキスだった。  唇を押し付けた瞬間は、思わずギュッと目を瞑ってしまったけれど。  瞼をそっと開いてみれば、驚きで見開いたままの翔太の目と至近距離で視線が絡んだ。  それは……一瞬の出来事だったけど……。  翼は自分の唇を指先で触れてみた。  窓の外を流れていくキラキラと光る街の灯りの遥か上に、打ち上げられている花火。さっきまで、翔太と二人であの下にいたのに……。  ドーンと鼓膜を震わせ、腹に響くような炸裂の音。同時に、翼と翔太の頭のすぐ上で、空一面を覆いつくした花の輪。  今頃翔太は、相田とあの大輪の花の下にいる。  ――あれが翔太との、最初で最後のキスなのだ。  電車の速度が段々と落ちてくる。翼の想いを遮るように、車掌のアナウンスが次の駅の名を知らせた。  *  電車を降りて改札を出ても、水野は翼に付いてくる。 「なんで水野まで電車降りるん! てか、家どこなん?」 「僕の家、公園駅より向こうやねん。逆方向ってやつ」  笑いながら応える水野に、翼は思わず呆れてしまう。 「はぁ? 何やってんの! ()よ戻りぃな。どこまで付いてくる気なん?」 「いやいや、ここまで来てしもてんから、家まで送るって」 「そんなん、ええって。駅から近いって()うてんやろ? 女の子やないねんから送ってくれんでもええって」  翼が断っても、水野は全く怯まない。 「翼くんの家どっち? こっちから?」  と、翼の手を引っ張ってくる。  水野は、翼の家に帰る近道になる螺旋階段の歩道橋の方へと足を進めようとした。 「ああっ、そっちからはあかん。こっちの道から帰るねん」  翼は慌てて、水野を止めた。  螺旋階段の歩道橋は、狭くてグラグラ揺れる感じが、あまり好きじゃない。  今は特に、下駄の鼻緒で擦れた指の間が痛すぎて、階段を普通に下りる自信がなかった。  少し遠回りでも、階段を下りないですむ道で帰ろうと思ったのだ。

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