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葉月(15)
「それは約束出来へんなぁ」
そう言って、水野は立ち上がる。
「また翼くんが僕に隙を見せたら、その時は、どんなに嫌がっても、もう聞かへんよ。翼くん、キスくらいは経験済みやって言 うたしな」
見下ろしてくる瞳は、いつもの軽薄な水野に戻っている。
だから、これもふざけて、さっき泣いた事をからかっているのだろうと、翼は思った。
「ふざけんな。そんなもんは好きな奴としかせーへん。俺は水野のこと別に何とも思ってへんって言うとるやろ?」
「へえ? じゃあキスした女の子のこと本気やってんや。ホンマに意外やなぁ……」
そう言って、顎に手を当てて宙を見つめ、大袈裟に考えるポーズをする水野に、翼は大きな溜め息を吐いた。
「うるさいな。その話は、もうええわ」
不機嫌そうな声でそう言って、顔を背けてしまった翼の目の前に、水野は笑いながら手を差し出す。
「帰ろか。歩ける?」
「……歩けるから」
翼は、差し出された水野を手を避けるようにして立ち上がった。
浅く履いていた下駄の鼻緒をしっかりと指で挟んでみれば、痛いけれど、絆創膏のおかげで、さっきよりは随分歩きやすい。
駅からの下り坂が終われば、暫く平坦な道が続き、この街の西方面と北方面に通じる幅の広い道路に出る。
今まで暗かった辺りの風景は急に開けて、海までの美しい街の夜景が広がった。
遠くには、この街の象徴のようなタワーが、光を放ちながら僅かに頭を覗かせている。
渡るのに時間のかかりそうな大きな横断歩道で信号が変わるのを待っていると、隣に立っている水野の手が、そっと翼の手の甲に触れた。
偶然触れたのだと思って、翼が距離を空けようとすると、触れていた方の手を、突然水野が握ってきた。
「ちょ……っ、何?」
「血豆……まだ痛い?」
さっき夏祭りの射的で怪我をした翼の左手を、水野は明るい街燈の灯りで照らして、傷がよく見えるように持ち上げたのだ。
「も、もう大丈夫や。ちょっとジンジンしとぉけど」
怪我をした直後は焼けるように熱くて痛かったけど、鼻緒に擦れた足の指の方が痛くて、今言われるまで忘れていたくらいだ。
「これもごめんな。僕が射的に誘ったからやな」
「別に、水野のせいやないよ」
その時信号が青に変わり、水野が歩き始める。翼の左手を繋いだまま。
「ちょ、手、離せや」
「ええやん、これくらい。な? こっから上り坂やし。足辛いんやろ?」
横断歩道を渡ると、翼の家までは、ずっと急な上り坂が続く。
慣れない下駄を履いている上に、鼻緒が擦れた傷のせいで足元の覚束ない翼を、水野は気遣って、そう言ったのだ。
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