52 / 198

葉月(16)

 電車の中で、さりげなく自分のことを庇って立っていた水野が、ふと翼の脳裏に過る。  普段の軽薄そうな態度は、もしかしたらポーズのようなもので、本当は周りに気配りのできる人間なのかもしれない。  そうでなければ、野球部員に慕われて、ましてやチームをまとめる主将をできるわけがない。 (やけど……好きとか言われてもな……)  繋いでいる水野の手は、汗が滲み出しそうなくらい熱い。  でも、男同士で手を繋いでいるこの状態は、誰かに見られたら恥ずかしいという気持ちがあるだけで、別にドキドキするわけでもない。  翔太と一つの傘の中に入って、肩が触れただけで心臓が壊れそうに高鳴ったあの時とは、やはり違うのだ。 「なぁ、もういっそ、僕と付き合ってみーへん? 僕、翼くんになら、どこまでも優しくなれる気がするわ」 「悪いけど、無理」 「ホンマ、ツレないなぁ、翼くんて。もうちょっと悩んでくれたりしてもええのに、即答やねんもん」  水野は、きっといい奴だと翼は思う。だけど付き合うとなったら話は別だ。  今の翼は、翔太のことが頭の中の大半を占めている。受験のことも、将来のことも、二の次なのだ。  だけど、その一方で、どんなに好きでも、ずっと一緒にいられない事も分かっている。  自分はこの先も、ずっとこのままなのだろうと思う。  誰かと幸せになれる未来は、少しも見えない。  過去に女の子と付き合ってみた事もあるけれど、やはり上手くいかなくて、2、3回デートをしただけで、すぐに別れてしまった。  翔太じゃなければ駄目だけど、翔太とハッピーエンドの未来も考えられなかった。 「ほんなら、恋人じゃなくてもええから、友達から始めへん?」 「……友達?」  翼よりも頭一つ背の高いところにある顔を見上げれば、水野は人懐っこい瞳を細めて、柔らかく笑った。 「……それなら、ええけど……」  ただの顔見知りから、友達になるだけだ。 「ホンマ?! ほな、スマホ! 連絡先教えて」 「ええけど、さっきみたいな事は、もうすんなよ! それが条件やで!」  そう言いながらも、翼はスマホを取り出した。 「さっきみたいな事って……キスか? そら翼くんが、また僕に隙見せたら分からんって()うたやん……」 「水野……お前なぁ……」 「あ、名前、良樹や。良樹って呼んで。僕も翼って、呼び捨てにしてええ?」 「嫌や」 「よっちゃん、でもええで? な? つ、ば、さ」 「絶対、嫌」  翼の家まで続く上りの坂道は、段々と、慣れない下駄で歩くのは、やっとな程に斜度がきつくなっていく。 「キッツいな、この坂。よう毎日こんな坂上ってんなぁ。あ、だから足腰鍛えられて、翼は走るの速いんや」 「気安く呼び捨てんな」 (こいつ、俺が短距離得意な事、知ってるんや……)  入学式の時から、翼のことが気になっていたと言った水野の言葉に嘘はなく、好きだという気持ちは本当なのだろう。

ともだちにシェアしよう!