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葉月(19)

「やだっ、翼、入ってんの?」  突然浴室のドアを開け、姉の夏香が顔を覗かせた。  驚いた翼は、今まさに握りかけていた手が止まる。咄嗟に掬った湯を姉の顔にめがけて、思い切り飛ばした。 「何覗いとんねん! スケベ!」  夏香は素早くドアを閉じて、翼の攻撃を避ける。 「もー、()よ出てよ。私が入ろー思とったんやから」 (知るか、そんなん!)  母親に入れと言われたから入ったのに、自分が帰ってくるまでに入らなかった夏香が悪いんじゃないか。そう思いながらも、早く夏香を追い払いたい翼は、仕方なく答える。 「分かったから、もう出るから、早よ向こう行って!」  夏香は、時々翼の部屋にもノックなしで、突然入ってくる。  たった二つしか違わないのに、いつまで経っても翼を子供だと思っているのだ。 (――安心してマスもかけんやん……)  翼は、熱くなりかけていた自分の股間を見下ろして溜め息を零した。  だいたい、翔太をオカズにしようとしていた自分にも、溜め息が出る。  いつも、やってしまった後は、後ろめたさに後悔するのに。  浴室を出ると、棚に置いておいたスマホが鳴った。  濡れた手を拭いて画面を見ると、さっき別れたばかりの水野からのメッセージだった。 『今ナニしてるー? 僕はさっき家に着いたとこ』 (ナニって……カタカナで書くなや) 『風呂入ってた』  返信すると、すぐに返事が返ってくる。 『風呂? 一緒に入りたかったなー』 『アホ』 『アホでごめん』  洗面台の前で、歯を磨いている間にも、そんなやり取りが続く。  キリがない。 『俺、もう寝るから。ほな、おやすみ』  無理やりに、会話を切ってやる。 『えー? もう寝るん? ほな、また明日も連絡するなー。おやすみ』  最後に、ハートマークをいっぱい飛ばした猫のスタンプが返ってきた。 (なんや……このハートは……)  明日も連絡するって書いているということは、毎日この調子で連絡してくるつもりなのだろうか。  友達から始めようと言っていたが、グイグイと押されているような感じに、翼は困惑していた。  ――このまま水野と付き合う選択肢もあるのだろうか。  もうすぐ夏休みも終わる。9月になって、学校が始まったら、喋らなくても、偶然に廊下ですれ違ったりして、嫌でも翔太に会うこともあるだろう。  今までは、そんな偶然を楽しみに学校に行っていたけれど、これからは、どんな顔をして翔太に会えばいいのか分からない。  いや、もう会うこともできない。  卒業の日まで、なるべく翔太と会わないように過ごさなければいけないと思う。  こんな想いは、もう忘れなければいけないのだ。  それなら、自分のことをあんなに好きだと言ってくれる水野と付き合ってみても良いんじゃないだろうか。  今は水野のことを恋愛の対象と思えなくても、一緒にいるうちに、芽生えるものもあるかもしれない。  ――だって、水野は同じ嗜好の持ち主だから。  そんな考えが頭を過る。

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