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葉月(20)
——でも……そんな事、出来るわけがない。
好きでもないのに、心は別のところにあるのに、付き合うなんて、水野だって望まないだろう。
それに何よりも、付き合ったとしても、当分忘れられそうにないと思う……翔太のことを。
2階の自分の部屋へ入ると、真正面にある南の窓が開いている。
残暑の厳しい日中に比べて、夜は気温も幾分低くなり、過ごしやすくなった。
時々、窓から心地良いそよ風が入ってくる。
窓辺のカーテンが風に揺れるのを見ていると、先月、翔太がこの部屋に遊びに来た日の事を思い出す。
あの腰窓に座って、一緒にアイスを食べたあの日が、つい昨日の事のように思える。
まだ翔太は、翼の気持ちを知らなくて。翼も翔太にこの気持ちを一生言わないつもりだった。
何も知らない翔太が、翼のソーダアイスを平気な顔をして齧ってしまったあの日。
それは翼にとっては大事件で、ずっと大切に覚えておきたい出来事だった。
少し恥ずかしくてドキドキする、そんな小さな嬉しい出来事を、ずっと積み重ねていけるのなら、自分の勝手な想いは届かなくても良いと思っていた。
一生、幼馴染という関係で翔太と繋がっている事が出来るのならば、それで良いと思っていた。
でも……もう、それも叶わない。
もう絶対に戻れないのだ。
翔太はきっと理解できないだろう。男が男を好きになるなんて、そんな気持ちを。
もしも翔太が、自分の事を避けたりしないで、幼馴染のままでいようと思ってくれていたとしても、必ず心のどこかで意識してしまうだろう。
翔太が自分を見る度に、いくら考えても理解できない事に悩むなんて、翼には耐えられなかった。
——もう、あの日には戻れない。
もう、これまで通りにいくはずがない。
だから、翔太への想いも、思い出も、翔太のこと全部、忘れなければいけない。
だけど今すぐには、無理そうだ。
真新しいランドセルを背負い、手を繋いで歩いた通学路。
公園の噴水でビショビショになって遊んだあの日。
寄り道をして串カツを買ったあの店。
酒屋の敷地で積んであるビールケースを倒して、店のおじさんに、こっ酷く叱られた事も。
グラウンドに寝転がって、ペルセウス流星群を眺めたあの夜も。
ドングリの木の下で、翼の膝枕で眠っていたあの寝顔も。
すっぱりと忘れて、他の人と付き合うには、翔太の思い出が多過ぎる。
この街にも、そしてこの部屋にも。
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