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長月(2)

「……おはよう」  抑揚のない声が聞こえてきた。  顔を上げることができなくて、翼の視線は翔太の足元だけを捉えている。  翔太が、今どんな表情でどこを見ているのか、翼には分からないが、『おはよう』と言った声は、明らかにいつもの翔太とは違っている。 「二人、随分仲良ぉなったんやな」  続いて聞こえてきた同じ声に、胸の奥がツンと痛み、顔を上げそうになってしまう。  翔太の表情を見るのが怖い。  さりげなく水野の手から逃れようとしたが、余計に肩を引き寄せられてしまった。 「そうやねん、あの夏祭りの夜から、仲良しになってん。なー? 翼!」 「……ふーん、そうなんや」  水野に応えながら、翔太の足がくるりと踵を返して歩き始める。  俯いている翼の視界から、翔太の足元が見えなくなった。  それで翼は漸く顔を上げる。  すぐ目の前を歩いている翔太の背中。  短髪の襟足に太陽が照りつけて、汗が光っているのが見えた。 「なぁ、こないだのセレクション、どうやったん?」  前を歩く翔太に、水野が訊いた。  それは、翼も気になっていた事だ。 「あぁ……結果は、まだや」  翔太は振り向きもせずに、前を向いたまま答えた。 「AOは、今月やんな?」 「うん」  やはり、前を向いたまま答える。  ――気まずい空気が流れている。  翼はそう感じた。  それは、翔太と翼の間にだけ流れる微妙なもので、水野はその空間にはいないのだ。  胸の奥にズキズキとした痛みのようなものを感じて、  ――いたたまれない。と、翼は思った。 「……お、俺、始業前に職員室に来いって、担任に言われてたんやった。悪い、先に行くわ」  苦し紛れの言い訳を吐き出して、翼は、水野の肩を押しやり、身体を離した。 「え? 翼? 呼ばれてるって……昨日まで夏休みやったのに?」  水野の質問も無視して、最初は早足で、そして徐々に足を速めて駆け足になった。  前を歩く翔太を追い越す時に、彼の横顔が視界の隅に見えた。 「つーばーさー! 帰りも一緒に帰ろうな!」  水野の声だけが、追いかけるように聞こえてくるが、もう振り返らない――振り返れない。  もう、すぐそこに学校の正門は見えている。  脳裏に残像のように焼き付く翔太の横顔を振り切るように、翼は全力でダッシュした。

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