62 / 198
長月(5)
******
「さて……どないする? 青野」
職員室の自分の席に、どっかりと腰を降ろした担任は、素直に従いてきた翼を見上げた。
「どうするって何を?」
「何をって……髪の色の事に決まっとるやろが」
「ああ……それなら、先生の好きな色に染めてください」
目尻に深い笑い皺が目立つ担任は、翼の言葉に身体から力が抜けたように、椅子の背もたれに背中を預けた。
ギシギシギーッと、背もたれと座面の接合部の辺りから嫌な音が鳴る。
そして一呼吸置いた後に、目尻の笑い皺をより一層深くさせながら腰を浮かせ、手を伸ばし、「アホ」と、翼の頭を軽く小突く。
「そういう事じゃなくてやな……規則は規則やからな、明日までに髪の色、ちゃんと戻してこれるよな? って聞いてるんや」
「……あの……今染めてもらえないんですか?」
「ホンマに今ここでやってもええんか? ちゃんと明日までに直してくるんやったら、それでええって言 うてんのやで?」
「でも……、また忘れそうやし……俺、先生にしてもらえるんやったら、真っ黒にされても、後で文句言うたりせぇへんよ?」
「あ……あのなぁ……」
素直に明日までに直してくると約束さえすれば、無理にここで染めさせようなどとは思ってもいなかった担任は、後に引かない翼に心底困りはててしまう。
「三島先生、どうかされました?」
向かいの席に座っていた教師の地声が大きくて、LHRが終わって、職員室に戻ってきた他の教師達も、何事かと二人の周りに集まってきた。
大ごとにするつもりはなく、こっそり注意をして翼を教室へ帰すつもりだっが、こうも周りを囲まれてしまっては、誤魔化す事もできずに、担任は渋々事の成り行きを周りの教師達に説明した。
「本人が良いって言 うてるんやし、ええんちゃいますか? どうせ明日までには直してこなあかんのやし。青野もその方が手間が省けてええんやろ?」
誰かがそう言うと、他の教師達の「そうやな……」と、言う声があちこちから聞こえてきた。
「い、いや、しかしですなぁ……」
担任としては、生徒に自主的に直させたかったのだ。学校で染めさせるのは簡単だが、それでは無理やりにやらされたというイメージが残ってしまい、きちんと反省した事にはならないのじゃないかと考えていた。
「先生、俺はええですよ、ホンマに」
しかし、当の本人の翼は、呑気な声でそう言った。……と言うよりも、担任の目からは、それがどことなく投げやりな態度に見えてしまう。
「でもな青野、俺、綺麗に出来へんで。不器用やからな」
翼は、黙って頷いて視線を横に逸らす。あれこれ考えるのも面倒になっていた。
「三島先生、よかったら私が染めましょうか?」
二人の会話を聞いていた若い女の教師が、見るに見かねてそう声を掛けてきた。
ともだちにシェアしよう!