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長月(6)
*
松宮小百合という、その教師の顔は、翼にはあまり馴染みがなかった。
今年採用されたばかりの新任の教師で、1年の英語の授業を受け持っていたからだ。
「小百合先生、ご迷惑かけてホンマすみません」
20代半ばくらいで、なかなかの美人教師に、担任の三島の鼻の下が伸びている。
「いいえ。私も上手くできるかは分かりませんが、自分でも染めたりする事もあるので……」
すぐにカラーリング剤を流せる洗面台があるからと言う小百合先生の提案で、翼は保健室に連れて来られた。
彼女は、レジ袋の中からカラーリング剤を取り出して机の上に置く。
担任の三島が言っていた白髪染めではなく、その箱には『トーンダウン・ナチュラルブラウン』と書かれていた。
たった今、近所の薬局へ走り、買ってきてくれたのだ。
黒じゃなくていいのか?という翼の質問に、
「いきなり黒くしたら違和感凄いでしょ? 明るい色を暗めのトーンに染めた方が自然でおしゃれな黒髪に染まるんよ。青野くんは元の地毛も明るめみたいだしね。この色なら新しい髪が伸びてきても目立たないと思うよ」
そう言って、小百合先生は、髪の根元が担任の三島に見えるように翼の髪を分けた。
「へぇ、なるほどなぁ……」
感心する三島に微笑んで、小百合先生は翼の髪をブラシで梳かし始める。
「細くて綺麗な髪ね。だけどあまり若いうちからカラー入れたりしない方がいいよ」
「そうやで。お前みたいな猫ッ毛は特に危険や。20代で禿げとか嫌やろ?」
「え? 禿げるん?」
驚いて担任を見上げた翼に、小百合先生はクスっと笑い、「こら、じっとして」と両手で翼の頭を動かないように固定させた。
「若いうちは、何もせんでも綺麗んやから、いじるなって言うてんねん。もったいないわ」
頭の上から落ちてきた担任の声は、キツくはない。しかし優しすぎもしない。なんとなく心に響く。
幼馴染でいつも一緒だった翔太から少し距離を取りたくて、安易にやった事だった。校則を破って派手な髪色にしたって、結局は何も変わらないのに。
ただこうして、教師に要らぬ手間をかけさせただけだった。
「……すみませんでした」
翼は、今度こそ神妙な面持ちで素直に謝った。
そんな翼に、担任は小さく溜め息を零す。
「なんや元気ないな。素直過ぎるのも心配やけどな……」
「え? 俺、元気ですよ」
「まぁええわ。……ほなちょっと教室の様子見に行ってきますんで、小百合先生、後お願いしてええですか?」
「はい」
終わったらちゃんと教室に来いよと、最後に翼に声を掛け、担任は教室へと戻って行った。
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