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長月(11)
「……っ、ごめん……」
息を切らせながらそう言って、そのまま階段を下りようとしたが、水野が翼の手を引っ張った。
「どうしたんやって……てか、髪、どうしたん? 朝と色が違うやん」
「あ……あぁ……染めてん」
「いや、それは分かっとるって」
手を引っ張られたことで、翼は漸く水野の顔を見上げた。
その後ろに人影がある。
水野の後ろにすっぽり隠れていた男子生徒が一歩前に出て顔を覗かせた。
身長は、168センチの翼よりも小さい。
しっとりとした艶のある黒い髪、黒縁の眼鏡とシャツのボタンを一番上まで止め、きっちりと締めたネクタイが、とても真面目そうなイメージを強調している。
少し俯き加減で、はっきりと表情は見えないけれど、見たことのない生徒だった。
胸ポケットに付けている学年章の赤い色で2年生だということだけは分かる。
「……あの……水野先輩、僕もう戻らないといけないので……さっき言 うてた夏休み前に借りた本は、必ず今週中に返却してくださいね」
水野にそう声をかけ、彼は翼には視線を一度も向けずに、階段を上っていく。
その背中に向けて、水野が大きな声で呼び止める。
「リッツ!」
水野の声に、彼は階段の途中で足を止めた。
「やめてください、その呼び方は」
振り向きもせずに返ってきた冷ややかな声に反して、黒い髪の間から覗いている彼の耳は真っ赤になっている。
「明日には返却しに行くからねー」
水野のいつもの調子の軽い声に、彼は返事を返さずにまた階段を上り始め、もう立ち止まることもなく、その姿は見えなくなった。
「誰? 2年やんな?」
「そう。 琴崎 律 。リッツって言 うねん。可愛いやろ?」
「その呼び方、向こうは嫌がってたやん……野球部の後輩?」
「あはは、野球部ちゃうよ。運動とかしそうに見えんかったやろ?」
水野は、そう答えてから顎に手を当てて「うーん」と、考えるポーズをする。
「……そうやな、あの子は……2年やけど……先輩後輩の付き合いやないなぁ。どっちかと言うと、『友達』って感じかな」
「ふーん」
素っ気なく返事をした翼の顔を、水野は少し屈んで覗き込んでくる。
「あれ? もしかして……妬いとぉ?」
「——! あ、アホ! なんで俺が妬かなあかんのや!」
水野が誰と友達だろうが翼には関係ない。見かけない顔だから誰なんだろうと思っただけだった。
「そうかなぁ。リッツのこと、翼が気にしてるように見えて、ちょっと嬉しかってんけどなぁ……」
「そんな訳ないやろ? ちょっと訊いてみただけやんか」
「あ、今ちょっとムキになってる?」
「何言うとん! 俺も急ぐからもう行くで!」
昇降口で瑛吾達を待たせているし、これ以上ここに居たら、また翔太に会ってしまうかもしれない。
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