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長月(12)
だけど、階段を下り始めた翼に水野がついてくる。
「翼、待ってぇな。一緒に帰ろって今朝言 うたやろ? 鞄教室に取りに行って来るから、ちょっと待ってて?」
それは困る。教室には翔太が居るかもしれないのに。水野のことだから、翔太にも声を掛けるに決まっている。
それに翼は水野と帰る約束をしたつもりはなかった。——朝は断る暇もなかったけれど……。
翼は足を止めて水野を振り返った。
「あかんねん、瑛吾らを待たせとぉし、今日も急いで帰って予備校行かなあかんから……」
今日は予備校に行く予定はないのに、思わず嘘をついてしまった。
「なんやー、そっか」
水野が、あまりにも残念そうな顔をするので、少し後ろめたい気持ちになる。
「ま、しゃーないか。また今度一緒に帰ろな」
「う、うん……ごめんな」
「そうや、翼のクラス、学祭の出し物何するん?」
「うちは……メイドカフェ……」
答えてしまってから、翼は「しまった!」と、心の中で思った。
「えっ? メイドカフェ?! それって……もちろん翼がメイドの格好して、『おかえりなさいご主人様』ってやってくれるんやんな?」
——やっぱり……そうくると思った。
「いや……俺は着ぃへんで」
なるべく表情を変えずに平静を装って、翼はポツッと、また嘘を吐いてしまう。
だけど、こればかりは仕方がないと思った。
できることなら、あんな格好をしているところは、クラスメート以外の友達には見られたくない。
特に水野に知られたら当日どうなるかは目に見えている。
「え? 嘘やろ? 翼にメイド服着せんとか、勿体ない。6組の連中は何しとんのや。あぁー、翼がメイド服着るんやったら、僕、一日中6組に居座るのにー」
——やっぱり……言わなくて良かったと思いながら、翼はチラリと水野を見上げて逆に質問をする。
「水野のクラスは? 何するん? あ……野球部でも何かするんかな……」
なんとかメイド服から話題をそらせたかったのもあるが、1組が何をするのかが気になっていた。
翔太も同じクラスだから。
「うちのクラスは、スタンプラリーやで。あ、野球部は1年と2年だけでやるねん。僕らもう引退してる身やからな」
「へぇ……スタンプラリー……楽そうやな」
「うん。各所に椅子と机置いてスタンプを準備して待ってたらええだけ。会場の設営もせんでええし楽チン。スタンプ押す係もローテーションでうまいこと回すから、他の出し物も余裕で見て回れるしね」
「ふぅん……」
「景品はわりと豪華やで。翼も集めてな。分かりにくい所にもスタンプポイントがあって、ちょっと宝探しみたいで面白いと思うで」
「へぇ……」
「あ、僕と一緒に回る? って……それは禁止なんやった……そうや! 変わりに、翼にだけヒントになる地図作ったるわ」
「え? ええわ、そんなん。俺、当日忙しくて回れんかもしれんし……」
当日、メイド服を着ることになっている翼達男子は、ローテーションが組まれていて、休憩時間もあるけれど、学校中を回らなければ集まらないスタンプラリーは出来そうにもない。
翼が断った理由は、勿論そのこともあるが……一番は、スタンプポイントに翔太がいるかもしれないからだ。
「でも全部集めんでもええから、参加できたらしてな。何かプレゼント用意しとくわ」
翼は、一、二段階段を下り、足を止めて水野を振り返った。
水野は、相変わらず人懐っこい垂れ目を細めてニコニコと笑っていた。
思わず、翼もつられて笑ってしまう。
「あはは……プレゼントなんかええって。時間あったら回ってみるわ……ほな……俺、もう行くな……」
そう言って片手を軽く上げ、翼は今度こそ階段を下りていく。
「うん、また明日なー」
軽い調子の声が、後ろから聞こえてきた。
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