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長月(19)

(――あの人……ホンマに待ってる気やろか……) 「まさかな……」  きっとこんな格好をしているから、からかわれたのだ。  そうじゃなければ、翼のことを男だと分かっているのに、何時間も待つなんて言う訳ない。  そう考えることで、翼は自分を納得させた。――男にナンパされたのではなくて、ただ単にからかわれたのだと。  やはり、メイド服姿は目立ちすぎる。こうして立っているだけなのに、あちこちから視線を感じるのは、気のせいではないと思う。  声を掛けられる度に『男です』と説明するのも面倒だ。  あまりウロウロしないで、どこかひと気のない所で休憩したい。 (座れる場所があれば、ええんやけどなぁ……)  そう思いながら、もう一度スタンプラリーのマップに視線を落とした。  ピンクの印が付いている場所――旧図書室は、図書委員でもない翼は行ったことがない。  1号館の4階は行ったことはあるが、旧図書室は一番奥の角なので、部屋の前すら通ったことがない。それにいつも鍵が掛かって閉め切っているので、中がどうなっているのかも分からない。  でも、もしかしたら椅子くらいは、あるんじゃないだろうか。  今の翼にとって、『座れる場所』というのが重要だ。  出来れば、靴も脱ぎたいし、誰も見てなかったら、思いっきり脚を広げて座りたい……なんてことも思っている。  コインの隠し場所であるスタンプポイントなのだから、誰かがいるかもしれないけれど、こんな所まで探しに来る人も少ないんじゃないかなと翼は考えた。  一番近くのスタンプを置いてある場所は3階だから、係になっている1組の誰かと顔を合わせることも無いだろう。――翔太に会ってしまう確率も低い。  とりあえず行ってみて、居心地が良ければ、この図書室で時間を潰そう。  そう思いながら、翼は渡り廊下に出て、1号館へ向かった。  1号館の4階には、階段を上がって左奥にある旧図書室と、反対側の奥にある第一音楽室の他は、音楽準備室、進路指導室、資料室などが並んでいる。  第一音楽室から、吹奏楽部の音合わせの音が聞こえてきている。  体育館のステージでのプログラムのラストを飾るのは確か吹奏楽部だ。  その音以外は、階下からの喧騒も遠く感じる。  翼は旧図書室のドアの前に立ち、中を窺うように耳を澄ませた。  中からは何も聞こえてこない。話し声も物音も。  ノブに手を掛けて、そっと回してみると、本当に鍵が掛かっていない。  薄く開けてみれば、重い鉄製のドアの蝶番の辺りから、小さく、キィ……と音が鳴る。  真っ暗だ。  開けたドアの隙間から体を滑り込ませて中に入ると、またキィ……と、小さく音を立ててドアがガチャリと閉まる。  電気のスイッチを手探りで探して、カチカチと全部入れてみたが、何故か灯りが一つも点かない。  ドアを入って左側にある窓には、黒い遮光カーテンが掛けられていて、隙間から外の光が射し込んでいた。  ――まるで、翔太と一緒に入ったお化け屋敷の出口で揺れていた黒い幕のようだ。  少し待つと、目は次第に暗闇に慣れてくる。翼は置いてある物にぶつからないように、手で探りながらカーテンの隙間から射し込んでいる光の方へと足を進めた。

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