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長月(22)

 翼が片方だけ開けたカーテンは全開にはしていない。窓から入ってくる陽射しは、並んでいる本棚の上を通って、図書室の奥に僅かに届いているだけだ。  距離が近づくにつれ、密やかに聞こえてくる息遣いや衣擦れの音。  その方面に経験のない翼でも、もうなんとなく気付いていた。一番右端の本棚の向こうに隠れている二人が、何をしているのか。  息を殺し、ちょうど陽射しが届かず影になっている一番端の本棚の角にしゃがんで身を潜める。それでも翼は、ここまで来て躊躇していた。  これは、覗きだ。  他人の情事を盗み見するなんて、悪趣味かもしれない。  しかし、次に聞こえてきたよく知った声の言葉に、その考えは呆気なく吹き飛んでしまう。 「……リッツがホンマに嫌なら、もうしないけど……」 (――リッツ?)  リッツって、始業式の日に水野と一緒に居た下級生――確か、琴崎 律(ことさき りつ)と言っていた。 (あの二人が……なんで?)  黒い髪に黒縁の眼鏡。きちんと締めたネクタイ。第一印象は、とても真面目な優等生タイプで、おとなしそうなイメージだった。  水野は彼のことを、先輩後輩の付き合いではなくて、“友達”だと言っていた。  その彼が、どうして水野と……? 「……嫌……じゃ、ないです……」  少し高めのハスキーな声。さっきはそれで女の子だと思ったけれど。彼は確かに男なのに、そこはかとなく色を含んだその声に、翼の心臓がドキリと鼓動を打った。 「……いい子」  笑いを含んだ水野の声が聞こえてきた後、二人の会話は途切れ……。代わりに漏れ聞こえてくる吐息が翼の耳に染み込んでくる。 「……んッ……ぅ……」  堪らずに、翼は本棚の影から、そっとその向こうを覗き見た。  思わず呑み込んだ唾液の喉を下る音が、やけに大きく感じて、二人に聞こえてしまうんじゃないかとヒヤリとする。  壁側の本棚に華奢な体を押さえつけ、水野は律の顎を掬い上げると、濡れた音を立てながら彼の下唇を吸い上げた。 「口、開けてよ……リッツ?」  唇が微かに触れる位置で、水野は律の眼鏡を外しながらそう囁く。  その声はいつもの軽さはなく低く響き、見ているだけの翼まで高揚させられて、背筋がゾクゾクしてしまう。  おずおずとだが、僅かに開いた律の唇の隙間に、水野の赤い舌が滑り込んでいくのがはっきりと見えた。  唾液の絡まる音が段々と激しく大きくなって、翼の居る所まで聞こえてくる。 「……ふ……っ、……んぅ……」  律の、鼻から抜けるような吐息混じりの甘い声は、離れている翼にも熱を運んできた。  今、律が見せている表情は、あの真面目でおとなしそうな下級生と同一人物とは思えない。  キスの合間に薄っすらと開いた瞼の下から覗く、熱に浮かされたように蕩けた黒い瞳。  上気して赤く染めた頬に、乱れて張り付くしっとりと艶のある黒い髪。    きちんと締めていた筈のネクタイは解かれ、シャツのボタンは既に全開になっている。  前立ての隙間からチラチラと覗いている白い肌が、翼の目に艶かしく映った。

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