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長月(29)
そう言って、身体を離そうとした翼の手を、水野が掴んで強く引き戻した。
「――あっ……」
水野の胸に勢いよく身体がぶつかり、背中に回された両手が、ギュッと抱きしめてくる。――息もできないくらいに強く。
「翼が恋人になってくれたら、もう絶対他の子とあんな事せーへんし、翼のこと一生大切にするって約束する! だから俺のパートナーになって」
その声には、いつものような余裕がなくて、すごく必死で本気な感じが、痛いほど伝わってきた。
その本気な想いに、どう答えれば良いのか分からなくなってしまう。
「ちょ……水野、苦しいって……」
そう言って、腕の中で身を捩ると、余計に抱きしめる腕に力が入った。
「……答えてよ、翼。どんな答えでも大丈夫やから本心を教えて」
抱きしめられて、水野の肩に鼻先を埋めている翼には、彼が今どんな表情をしているのか分からない。
だけど聞こえてくる声が、今まで聞いた事がないくらいに真剣で、いつものように軽く返せないような気がしていた。
「じゃあ今はこれだけ教えて。好き? それとも嫌い?」
うっ……と、言葉に詰まる。
「……そんな……訊き方、ズルいわ……」
二つしか選択肢がないなんて。
水野のことは、決して嫌いじゃない。それは本当だ。
だけど、『好き』という言葉には二通りの意味がある。
だからこそ、簡単には言えないのだ。
『好き』という二種類の言葉の境界線を越えた想いは、翔太にしか感じない。
ずっと昔からそうだった。その想いに気づかない振りをしていたあの頃も、忘れようとしている今も。
だから、さっき翔太に誤解されてしまった事に、こんなに胸がざわめいて、苦しいのだ。
「水野のこと……嫌いじゃない……でも、好きでもない……」
『好き』なんて、相手が誤解してしまいそうな言葉は、どうしても翼には使えなかった。
「ごめん……」
水野の肩先に顔を埋めて、最後にそう付け加えると、クスっと小さな笑い声が聞こえてきた。
「ホンマずるいわ、翼も。そんな言い方……」
「ごめん……」
もう一度そう言うと、目頭が熱くなり、勝手に涙が溢れてくる。
「あーあ、また泣かしてしもた……てか、翼よりも、僕の方が泣きたいんやけど……」
そこで水野は深い溜め息を零して一旦言葉を区切る。そして翼の頭を撫でながら続けられた言葉に不意を突かれ、胸の奥が切なく震えてしまう。
「やっぱり……翔太が好きなんやなぁ、 翼は」
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