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睦月(6)
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「受験票持った?」
「持ってる」
「まぁ、頑張ってくれば?」
「はいはい」
玄関で靴を履く翼の背中に、母と姉が交互に声をかけてくる。
「ほな、行ってくるわ」
翼は、肩越しにチラリと二人を振り返り、玄関のドアを開けた。
雪がチラチラと舞っている。
今年一番の冷え込みだとテレビで気象予報士が言っていた。
でも、この辺りは積もる心配はないだろう。
試験会場は、螺旋階段の歩道橋がある駅から北方面へ向かう電車に乗らなければならないが、翼が利用する区間には遅延の情報は無い。
時間には余裕を持って家を出た。
いよいよセンター試験一日目。
なんとなく緊張はしているけれど、翼にしてはわりと落ち着いている。
乗る予定にしている電車の時刻にも、まだ余裕がある。
今日は、あの苦手な歩道橋の階段を上るよりも、かなり遠回りだけど違う道で行くか……。
という考えが、翼の脳裏に過る。
“違う道”とは、夏祭りの帰りに水野と歩いた道だ。
――でも……と、翼は“違う道”へ向かおうとしていた足を止めた。
ふと、“ 水みくじ”の『場所』という項目を思い出したのだ。
『見晴らしの良いところへ行ってみると良い』
あの歩道橋は、高架線になっている駅へ、遠回りになる坂道を歩かずに行く為の近道だ。
ただでさえ、小高い丘にある駅だから、あの歩道橋の上から見える景色は、“見晴らしが良い”と言えるだろう。
別に、おみくじや、占いを信じている訳ではないが、今日はあの苦手な歩道橋を克服すれば、縁起も良くなるような気がしたのだ。
――アホみたいな考えやな……。
そう思いながらも、もう既に足は“近道”を選んでいた。
電車の走る高架下を抜けたらすぐに、その歩道橋の階段がある。
元々造りが不安定なのか、ただ単に古いからなのか、分からないけれど、少しの風でも揺れる歩道橋。
翼がゆっくりと静かに上っていても、他の誰かが走ったりすればグラグラと揺れてしまうのが嫌いだった。
――そう言えば……ここで、合宿帰りの翔太と偶然会ったのは、五月のゴールデンウィークだった。
もう、ずいぶん昔の事に思える……。
階段を上りながら見上げると、雪をチラチラと降らせている空は、あの時のどこまでも澄んだ青空と違い、灰色にくすんでいる。
(翔太に会いたいなぁ……)
勢いで告白してしまう前の自分に戻って、もう一度会えたらどんなに良いだろうと思う。
漸く階段を上りきると、海側の景色が見えた。ここからだと海は遠いけれど、確かに見通しは良いと言える。
階段を上がり、右側に進んで歩道橋を渡れば反対側の歩道に降りれる。
左側に進むと、改札口の前の道と繋がっている。
翼は高架線の向こうに広がる景色に視線を残しながら、左側の道へ向かう。
ちょうど歩道橋とアスファルトの道の繋ぎ目辺りで、景色が駅舎に遮られ、そこに佇んでいる誰かの姿が視界に入った。
「――は?」
驚き過ぎて、翼は妙に高い声を上げてしまう。
そんな翼に、彼は真面目な顔のまま微かに口元を綻ばせ、軽く片手を上げた。
「おはよう」
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