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睦月(8)
「“学問の神様”言 うたら、“天神様”やろ?」
「わざわざ、あの長い階段上ってくれたんや……」
「……だから……“ついで”があったからやって、言 うとるやろ」
翔太は、少しはにかんだように視線を逸らす。
そんな翔太の様子に、翼は顔がどんどん熱くなっていくのを感じていた。
さっきから、やたらと心臓の音が煩い。
翔太が自分の為に、合格祈願のお守りを……。
雪の降る、こんな寒い朝に、翼がここを通るかどうかも分からないのに。
しっかり着込んでいるわりには、お守りを掴んだ時に触れた翔太の手は、すごく冷たかった。
――もしかしたら……もしかしたら……。
水野の予想は、当たっているのかもしれない。と、つい自分に都合の良い方に考えてしまう。
「どうした? 緊張してんのか?」
「……ちょっと……してるかな……」
この緊張は受験に対してじゃない……たぶん。
翔太に『緊張してる』と答えたのは、今考えている事を見透かされないように誤魔化す為だった。
「大丈夫や。翼なら絶対大丈夫」
そう言って、翔太は翼の背中をポンポンと軽く叩く。
何かにつけて緊張をしてしまいがちな翼に、昔から翔太がしてくれる、いつもの『儀式』だ。
こうしてもらうと、何故か気持ちが落ち着いていく。
今、ドキドキしている原因の大半は、翔太本人なのだけど……。
背中に感じた翔太の手のひらの温度は、さっき触れた時よりも暖かい。制服に重ね着たコートの上からでは、感じるはずもないのに。
「ありがとうな……お守り」
そう言って見上げると、口元を綻ばせた翔太と視線が交わった。
目尻が鮮やかに切れ込んだ清々しい目に、こんなに近くで見つめられるのは、随分久しぶりのような気がする。
せっかく落ち着いてきた心臓が、またドキドキと早い音を打ち始めてしまう。
「そろそろ電車くるで……早 よ行きな」
「あ……うん、ほな……行ってくる」
翔太に促されて、翼は思い出したように歩き出す。
「――翼!」
自動改札機を抜けたところで翔太に呼び止められて、翼は足を止め、後ろを振り向いた。
「受験が終わったら、またキャッチボール付き合 うてくれる?」
自動改札機を挟んだ向こう側で、翔太が軽くボールを投げるジェスチャーをした。
翼は、左手を上げて、それをキャッチする。
誰にも見えない、あるはずのない白いボールが、翼には見えた気がした。
「――しゃあないな、付き合 うたるわ」
そう言いながら投げ返すと、翔太がそれを受け止める。
「絶対やで」
返ってきた翔太の声に、翼は笑顔で頷いて応える。
各駅停車の電車がホームへ滑り込んでくる音が、ゆっくりと後ろで響いていた。
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