125 / 198

如月(9)

 休憩時間ということもあって、教室の扉は開け放たれていた。  翼は、出入り口から少し離れた位置で中を覗いてみたが、見える範囲には翔太の姿はない。  もう少しだけ近づいて、今度は違う角度から教室の奥を覗いてみる。だが、やはりいないようだ。  諦めて踵を返すと、ちょうど教室に戻ってきた水野が目の前に立っていた。 「あれ? 翼やん。なんか久しぶりやなぁ」  言われてみれば、年が明けてからは、お互い受験があったし、二月からは自由登校だったせいか、暫く水野の顔を見ていなかった。 「どうしたん? うちのクラスになんか用事あった?」  水野の声を聞きながら、翼はふと思い出して、もう一度教室の中へ視線を移す。  そう言えば、相田の姿も見えない。 「あー、もしかして翔太探しとん?」  翼は、素直に頷いた。 「翔太、今教室におらんみたいやけど、どこ行ったか知らん?」  休憩時間は10分しかない。今を逃したらあとは下校時しかチャンスはないが、そうなると時間に余裕がありすぎて、翔太の言っていた〝話しておきたい事〟を聞かなければならない状態になりそうだ。そうなってしまうのを出来れば避けたかった。  ただちょっとだけ顔が見たいだけ。ただ一言、希望の大学に合格したことを伝えたいだけ。今日はそれが翼にとっての精一杯だった。  だけど水野から返ってきた言葉に、翼は酷く落ち込んでしまう事になる。 「翔太、学校来てへんよ。なんか、大学の野球部の合宿があるらしくて、それに参加する()うて今日から東京行ってる」 「え? 入学式は四月やのに?」 「なんか、保険に加入して、高校の校長や、親の承諾をもらって申請書を提出したら参加できるねんて。翔太、春季リーグから使ってもらえるように頑張るって()うてたで」 「……そうなんや……」  翔太は、翼が考えているよりもずっと遥か彼方を目指して、もう歩き始めている。なんだか自分はポツンと置いていかれたような気がしたのだ。  それに、学校で翔太に会う機会は、これでもうなくなってしまった。そう思うと胸の奥が何か鋭利な刃物に抉られるような痛みを感じてしまう。 「……もしかして翼、翔太とまだちゃんと話してへんかったん?」  翼は無言で頷いた。胸が苦しくて、声を出せずに俯いてしまう。 「あーもう、何やってるかな……二人とも……」  水野の大きな溜息が聞こえた後に、不意に大きな手が、俯いてしまった翼の頭の上に、ふわっと伸びてきた。  そのまま少し乱暴な手つきで頭を撫でながら、「でも大丈夫やで」と、水野は言葉を続ける。 「翔太、予行演習は()れへんけど、卒業式は出る()うてたし。そのままずっと向こうに行ってるってわけやなくて、合宿終わったら帰ってくるから」  その宥めるような声は、翼の沈んでいく重い気持ちを力強く掬い上げてくれる。  だけどどうしても……もしも卒業式の日に翔太に会えたとしても……。  心に引っかかったままの蟠りが、あと一歩を踏み出す勇気を押し留めて燻っている。

ともだちにシェアしよう!