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弥生(1)
――――弥生
「……翼、聞いてる?」
俯いたままの翼の顔を、水野は「大丈夫?」と、頭に手を置いたまま少し屈んで覗き込む。
「だ、大丈夫や。今日は受験の結果を知らせようと思 て来ただけやから……」
「お、どうやったん?」
「合格……した」
答えると、水野はさっきよりも乱暴に翼の頭を撫でながら、「おー! おめでとう」と、たれ目気味の目元を細めて人懐っこく笑う。
手荒い祝福を受けながら、水野の手の下で翼は「ありがとう」と、思わず顔をほころばせた。
「K大やろ? 良かったなぁ」
「え?」
K大を受けたことは、水野に言った覚えがないのにと、翼は驚きの声を上げる。
「なんで知ってんの?」
「なんで……って……。うーん、ボクは翼のことやったら何でも知ってる……って理由じゃあかんかな」
何か引っかかるような言い方だけど、その口ぶりから、どうせ瑛吾辺りから洩れたんだろうと思い、翼は苦笑する。
「……水野は? もう受験終わったん?」
「ううん、ボクはまだこれからが本番や」
水野は、2月25日の二次試験を受けると続けて、苦笑した。
「そうなんや……頑張れよ」
「合格したらデートしてくれる?」
「そんな約束はできん」
「もー、相変わらずつれないなぁ、翼は」
そんな会話を交わしていると、休憩が終わるチャイムが鳴り始めた。
水野と別れて急いで教室に戻る途中で、ふと思う。
──卒業したら、本当にみんな違う道を歩いていくんだな。
水野も、瑛吾も、健も、そして翔太と自分も。
四月になったら、それぞれの新しい生活が始まる。今ここにいる事も、今持っている感情も全て過去の思い出に変わっていく。
そうして、これからは新しい生活が自分の一番大切な時間になるのだ。
バレンタインの登校日に感じた何とも言えない気分が、またジワジワと胸を締め付けてくる。
──嬉しいのに寂しくて……それは焦燥感にも似ている。
そして、それから一週間後。
とうとう、その日卒業式の朝を迎えた。
翔太は、前日の予行演習も水野が言っていた通り、やはり休んでいた。
卒業式には出ると言っていたから、たぶん昨日の夜遅くか、今朝の早い時間に帰ってきていると思う。
結局、〝合格した〟の一言も、翔太にはまだ伝えられないでいる。夢を目指して頑張っているところに個人的な連絡をする事なんてできなかった。
それに────翼の心に引っかかったままの蟠りは、翔太が言っていた〝ちゃんと顔を見て、話しておきたいこと〟だ。
次に連絡する時は、翔太と会う日を決めなくてはいけない。
直接会って、その言葉を聞けるだけの心の準備が、まだできていない。
──実は……彼女ができた。
きっと、話はそれだけでは終わらないと思う。去年の夏に、翼の気持ちは翔太に伝えてしまっているからだ。
──だから翼の気持ちには応えられない。
翔太の口から、そう告げられるのが怖かった。
あの時、どうしてあんなことをしてしまったんだろう。
今更ながらに、夏祭りの日のことを何度も思い返しては、自分の言動を後悔するばかりだった。
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