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弥生(6)
『あー! 翼? ボク、ボク!』
受話ボタンを押した途端に、名前も名乗らずにいきなり聞こえてきたのは、いつもの軽い調子の声。
「間違い電話じゃないですか?」
『あーもう冷たいなぁ! 水野やってば』
「誰だっけ……」
そう返せば、『酷いわ!』と、苦笑混じりの声が聞こえてきた。
『……まぁ、ええわ。それよか翼、知っとぉ?』
「……何を?」
『翔太のことに決まっとぉやん』
「…………」
突然翔太の名前が飛び出して、翼は言葉に詰まる。
卒業してからは、姿も見ていないのだから、翔太がどうしているのかなんて、翼には分かるはずもない。──〝知らない〟そのひとことを口にしようとするだけでも切なくて、胸が軋む。
『やっぱり知らんのや』
他の人に言われると、思っていたよりも、もっと辛かった。胸が痛くて、息苦しくて、やっとの思いで聞き返した翼の声は、自分でもびっくりするくらいに掠れてしまう。
「……翔太が……どないしてん」
『翔太、今日東京に行くって』
「…………」
水野の声が、段々と遠くなる気がした。
最初は信じられなかった。ついさっき同じことを考えたばかりだったから。──翔太は、いつ東京に行ってしまうんだろう……と。
まだ日にちには余裕があるとばかり思っていた。だから、まだ翔太には会おうと思えば会えるって──会いに行く勇気もないくせに……。
水野の言う通り、知らなかった。本当は知る必要もなかった。どうせ会いになんていけないんだから。
『──翼? ちゃんと聞いとぉ?』
「聞いとぉよ」
『あのな、翔太、翼に会いたい言 うとったで。ずっと連絡待ってたって言うとったで。なんで連絡せんかったん?』
「水野には関係ないやろ?」
「関係ないことない! ボクがどんな想いで翼のことを諦めたと思 ぉとん」
「……ごめん……もう切るで」
『あー! 待て待て!』
翼が耳からスマホを離すと、水野の慌てた声が電話の向こうから聞こえてくる。翼は息をつき、もう一度スマホを耳にあてた。
水野は、そのまま言葉を続けていた。
「何を拗ねとんのか知らんけど、これだけは言 うとくな。翔太の乗る新幹線! 新神戸発13時10分! ちゃんと伝えたで? 後は好きにすればええ!』
それだけ言って水野は電話を切ってしまった。
「……別に……拗ねてへん……」
返事は返ってこない。ツーツーと繰り返すだけの不通音を、翼は呆然と立ち尽くしたまま、暫く動けずに聞いていた。
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