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弥生(13)

 翼の髪を掻き混ぜる手が徐々に緩やかな動きに変かわり、「翼……」と、頭の上から甘いバリトンが聞こえてくる。その声は、頭の天辺から足の爪先まで、身体を伝う。  全身の力を根こそぎ持っていく魔力のようだと、翼は思う。  そっと上目遣いに見上げると、翔太は乱れた翼の前髪を、指で優しく撫でるように後ろへ梳かす。 「髪、黒くしたんやな……」 「え、そんなん、いつの話や……。二学期の始業式の日に、頭髪検査で捕まったんやで?」  答えた翼に、ただ「うん」とだけ返して、翔太は口元を綻ばせながら言葉を続ける。 「学祭の時のメイド服、可愛かった」 「……? あれ着るのめちゃ嫌やったんやで?」  答えながら翼は首を傾げていた。  ──翔太は、なんで今そんな話をするんだろう。 「それから……K大合格したんやろ? おめでとう」  そう言われて、翼の胸はドキンと跳ねた。  ずっと、翔太に言いそびれていた事を思い出したのだ。 「……あ、ありがとう。翔太も……W大合格おめでとう」 「ありがとう、翼のおかげや」 「え?」  疑問の表情を浮かべる翼に、翔太は「やっと言わせてくれたな」と言って、少し照れたように切れ長の目を細めた。 「……翼があの時背中を押してくれたおかげやで。だからずっと〝ありがとう〟を言いたかった」  ──あの時……とは夏祭りのことだ。  ただ勢いにまかせて、口が勝手に動いていた。ずっと心に秘めていた言葉も一緒に。  思い出すと、やっぱり恥ずかしくて、翔太に改めて〝ありがとう〟なんて言われると、ちょっとこそばゆい。  翔太は、翼の寝ぐせのように緩く跳ねた毛先を、遊ぶようにまだ弄っている。 「お前、人の髪で遊び過ぎ……」  逃げるように頭を軽く横に引きながら、翔太の手を掴むと、逆にギュッと握り返された。 「……お、おい……」  繋いだ手をそのまま座っている互いの体の隙間に隠し、翔太は横に置いていた鞄を膝の上に乗せる。ズシリと重い横長の大きな鞄は翼の脚の上にも被さる形になった。 「こうしてたら、見えへんやろ」 「見えんかもしれんけど──」 (ちょっと……いや、だいぶ恥ずかしいし、これ、傍から見たら絶対ぎこちなくて変やと思う)  焦って離れようとすると、翔太は握った手に更に力を入れた。 「ホンマは、翼のこと、いつも一番に知りたかった」  そしてそう言って、息をつく。 「な、何? 一番て?」 「染めた髪やメイド服を着た翼に、誰よりも先に触りたいし、第一志望に合格して〝おめでとう〟って言うのも……、俺が一番最初に言いたかった」 「……え?」  隣を見上げると、翔太はふいっと視線を逸らしてしまう。そして顔を背けたまま言葉を続ける。 「だから……それを全部、良樹に先を越されて悔しかった。それだけや」  繋いだ手が、やけに熱くなっていく。翔太の体温が急に上がったのを翼は感じていた。

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