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弥生(19)
新幹線出発の時刻まであと僅か……。時間を気にしながら入り口に立つ翔太を見上げる。
「今度、会えるんは夏休みかな……」
え? と小さく声を洩らした翔太は、翼の顔を見て少し苦笑いを浮かべた。
「明後日帰るって、さっき電車乗る前に言 うたやろ?」
──明後日?
「あ……?」
──そう言えば……螺旋階段がある駅で、電車に乗る前に聞こえなかったのは、その事だった……?
──『メールするから──明後日には帰るけど……今度はちゃんと読めよ』
翔太はそう言ったのか。
「なんで? 帰ってこれるんや?」
「明日が新入生集合日やねん。入学前に実力とか見るんちゃうかな……知らんけど。その後は練習ないし、帰ってくるつもりやったんや」
(なんや……そうやったんか……そやけど早よ言えよな……まったく……)
そう思いながらも、翼はホッとする。
「そっか……良かった。ほな、またすぐ会えるんやな」
そう言って、翔太に目を合わせた瞬間だった。スッと伸びてきた手に腕を掴まれて素早く引き寄せられる。
「──あっ?!」
ドサッと、翔太の大きな鞄が床に落ちる音が聞こえるのと同時に、翼は車内に足を踏み入れて、翔太にしっかりと抱きとめられた。
「ちょ……っ」
顔を上げた途端に、唇が塞がれる。──翔太の唇に。
抗議をしようとした声は、重なる唇の隙間から、ひとつだけ零した甘い吐息と共に消えた。
それは、一瞬だったのかもしれないけれど、とても長い時間のようにも思えた。
目の前には、黒く長い睫毛を伏せた翔太の顔がある。
──……分発、のぞみ──号、東京行きが発車します。ご利用のお客様はお近くのドアから車内へお入りください。お見送りのお客様は、黄色い線の内側までお下がりください──
心臓の音が大きすぎて、出発を知らせるアナウンスが、どこか遠くに感じた。
ゆっくりと目を閉じると、合わさった身体に感じる鼓動が、自分のものなのか、翔太のものなのか分からなくなってくる。
ただ重ねただけのキス。でもそれは、去年の夏祭りの時の、唇を押し付けただけのキスとは確かに違う。
唇が離れると、翔太の切れ長の目と視線が絡む。目と目を合わせながら、もう一度短く重ねた唇は、すぐにリップ音を立てて離れていった。
「去年の夏祭りん時のお返しや……」
そう言って、翔太はニヤリと笑う。まるで、悪戯が成功した時の子供のような顔で……。
「何、恥ずかしいことしとぉ……」
「誰も見てへんかったし……」
発車を知らせるベルが鳴り始め、翼は顔が熱くなるのを覚えながら、ホームへと降りた。
──……番線、のぞみ、──号東京行きが発車致します。ドアが閉まります。ご注意下さい。お見送りの方は安全柵の内側まで──
安全柵の内側まで下がると、翔太との距離が遠くなった。
──ドアが閉まります──
注意を促す同じアナウンスが、何度かホームに響き、新幹線のドアとホームドアが、同時にゆっくりと閉まる。
翔太に、何か声を掛けたかったけど、他のホームからも同じように聞こえてくるアナウンスと、ベルの音に掻き消されそうで何も言えなかった。
閉まったドアの、小さな窓の向こうに、翔太の顔が見える。何か口が動いてるけど、何を言ってるのかまったく分からない。でも、分からなくても、不安になったりはしない。
この先、遠距離になって、二人の関係がどこまで続くかは、今は分からない。
でも、会いたければ、会いに行けばいい。二度と会えないと思って絶望していた時に比べたら、東京までの物理的な距離なんて、どうってことないように思えてくるから不思議だ。
それに──
とりあえず、遠距離の別れを惜しむのは、先延ばしになった。
明後日には、また翔太に会える。
そう思いながら、翼は、窓の向こうに見える翔太に手を振った──「いってらっしゃい」と、呟くような小さな声で、大きく口を動かして……。
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