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【Darling】 柚杏

赤ちゃんの泣き声が聞こえる。  ああ、起きなきゃ。さっき寝たばかりでまだ眠いけど……。 「寝てていいよ、あおば。僕があやすから」  大きな手が僕の髪を梳き撫でてくれる。 「ん……」  寝惚けながら返事をすると優しく微笑むリュカにほっとする。  撫でられてた手が離れると泣いていた赤ちゃんを抱き上げるリュカの姿を夢現に見る。 「よしよし、どうしたのかな? 怖い夢でも見たのかな?」  ゆらゆらと心地良く腕の中で揺らされて、僕の――僕とリュカの愛しい子供、マッティアがまた眠りに就く。僕もまたそれに安心して眠りに就いた。   ――僕がこの世界に来たのは二年前。それまでは平凡な高校生だった。  ある日突然何かに吸い込まれて落ちた場所にはリュカが天敵の狼達に囲まれて絶体絶命の瞬間だった。  僕はリュカの腕の中にスポンと、まるで最初からそこが僕の場所だったかのように収まった。そして驚くリュカと目が合ったと同時にもの凄い熱が身体中にあふれていくのを感じた。  リュカも同様で、驚いていた顔は少し間抜けだったのに目が合って数秒で獣のような目になった。そして僕を器用に背中に乗せると襲いかかってきた狼を蹴り倒し、落ちていた槍を前脚で蹴り上げて拾いトドメを刺した。  次々と狼を倒し、全ての狼が地に倒れた後リュカは僕を背に乗せたまま走り、森の奥にあるリュカの住む集落へと連れて行った。  リュカの下半身は馬だった。本や映画で見るようなケンタウロスという生き物。今まで僕が住んでいた世界では想像上の生き物だ。  だから僕がリュカの腕の中に落ちた時、僕は夢を見ているのだと思った。だって想像上の生き物が目の前にいるなんて信じられる訳がない。  だけどリュカと狼の闘いを背中で見ているうちに、何故かストンと腑に落ちた。  ああ、僕は、この人に逢うためにここに来たんだって。  リュカと出逢う為に今まで生きてきたんだって――。  闘いの最中にリュカの右肩に少しずつ浮かび上がる馬の形をしたタトゥーはとても綺麗で、集落に着いてリュカの家の中で二人きりになった時、思わずその右肩に触れて撫でた。  僕たちはそのまま本能に身を任せてお互いを求め、リュカは僕の項に番の証の噛み後を残した。  この世界はまさにファンタジーの世界だ。  リュカはケンタウロスの一族で半人半獣。狩りを生業として生活している。  この世界の半人半獣は時と場合によって人間の姿にもなれる。その例として、ケンタウロスの天敵の狼族は普段は人間の姿をしていて、狩りの時は狼になるらしい。  僕は危険だからとケンタウロスの狩りには同行させてもらえないけれど、帰ってきた仲間のうち誰かは必ず怪我をしている。リュカも何度も怪我をして帰ってきている。僕はその度に胸が締め付けられる思いになる。  一族の長は筋骨隆々という言葉が似合う渋くてかっこいい人。  僕がいきなりこの世界にやってきて右も左もわからず、一族の若者で一番の有望株のリュカと番った事に他の仲間は戸惑い僕を責めた。この世界では普通の人間は土地を荒らして戦争を引き起こす厄介者扱いなのだという。しかも僕は得体の知れない別の世界からやってきた人間。一族が僕を責めるのも分かる。  だけど、もう僕たちは番ってしまった。僕の世界には番うというと結婚をイメージするけど、この世界には特殊な性別基準がある。  それが、アルファ、ベータ、オメガというもの。  リュカはアルファという性別でとても優秀な遺伝子を持っている。ケンタウロスの長になる条件の一つにアルファであることというものがあるくらいだ。  ベータはこの世界のありとあらゆる生き物の大半の性。可もなく不可もなく普通の者が。 多い。  僕はこの世界ではオメガという性になる。オメガには発情期があって、男でも妊娠が出来る特殊な性だ。そのため、種族によっては子孫繁栄のシンボルであり、子供を残す事が難しい種族は大金を払ってでもオメガ性を買い取りたいという。  ケンタウロス一族は幸い、子孫繁栄に適した一族なのでオメガ性の売買はしていない。だから僕という存在が現れて、アルファであるリュカと誰の許可も取らずに番った事は一族的には大問題だった。  しかもケンタウロスのアルファには、「運命の番」という相手に出逢うと右肩にトライバルタトゥーというものが浮かび上がる。リュカと出逢った時に彼の右肩に浮かび上がったものがそれだ。  僕たちは運命で引き寄せられた。  世界を超えて、種族を超えて、一緒に生きるために――。  一族の長は「番ってしまったものはどうしようもない」と豪快に笑った。その懐の深さと大らかさに僕もリュカもほっとした。  出逢って間もない僕たちはお互いの事を何も知らなかったけれど、きっと一生離れられないと思った。そして、これからゆっくり知っていこうと約束をした。  長に認められて仲間達も渋々認めるしかなく、最初のうちはあたりが強かったケンタウロス族との生活は正直大変だった。  僕は元の世界では本当にただの平凡な高校生で、特別何か秀でて出来る事があるわけではなかったしそもそも種族が違うから今までの生き方は全く役に立たなかった。  ケンタウロスは狩りをして生きる。非力な僕は武器も満足に扱えないし、ケンタウロスの脚力には到底敵わない。狩り部隊が獲物を狩りにいく時は僕は集落でお留守番をしてリュカの帰りを待った。  リュカと番いたがっていた女の子達には疎まれていて、最初のうちはお留守番は居心地が悪かった。それでも我慢出来たのは項にある番の証の噛み後と、帰ってきた時に一番に僕を満面の笑みで抱き上げて背中に乗せてくれるリュカがいたからだ。  だけど、たまに考えてしまう。  星が綺麗で森がざわめくこんな夜なんかは特に。  眠れなくてリュカの隣からそっと抜け出して一族のご神木を見上げながら思うんだ。  あっちの世界にいる両親は僕がいなくなって心配してるだろうな、って。  平凡だった僕に失踪する理由なんてないし、両親もきっと困惑して不安で堪らなくて泣いているかもしれない。  それを考えるとチクチクと胸が痛む。  友達だって心配してるだろう。学校の帰りに友達と「じゃあ、また明日」なんて言ったあとにこの世界に飛ばされたんだから、家まで送り届けたら良かったなんて自分を責めてるかもしれない。  家族や友人の事を思うと、このままこの世界にいていいのか分からなくなる。かと言って帰る方法なんて知らない。  リュカと離れるのは嫌だし、ずっと一緒にいたい。リュカが幸せだと思ってくれたら僕も幸せだし、リュカをいっぱい幸せにしたい。 「あおば、どうしたの?」  暗闇の中、四本の足を規則正しく鳴らしながらリュカがご神木に凭れて座る僕を探しに来た。  リュカは優しい。今まで逢った誰よりも僕に優しく接してくれて、大切にしてくれる。毎朝起きて最初に目にするのがリュカの寝顔で、僕はいつも暖かい気持ちになる。 「眠れなくて。外の空気吸いに来たんだ」  そう言うとリュカは僕の隣に脚を折り曲げて座って、僕の頭を撫でてくれた。  僕は、自分の元いた世界では一般的な高校生の平均より少し身長が低いくらいでまだ伸びると信じているけれど、リュカを前にするとこれから成長期でぐんぐん伸びても追いつかないくらい背が高い。リュカの背中に乗って見る景色はとてもいい眺めだ。  大きくて、力強くて、そしてとても優しくて。  一族の女の子達が僕を疎ましく思う気持ちが良く分かる。  僕は男で、それまで恋愛対象は女の子だったからこんなにすんなりリュカを受け入れる事が出来た事に自分自身、少し驚いている。しかも、出逢ってすぐに身体を重ねるだなんて今まで平凡だった僕の日常からは考えられない出来事だ。 「何か不安?」 「え……」 「あおばを見てればわかるよ。あおばは何も言わないけど、悩み事があるんじゃない?」  リュカは、僕の事をよく見てる。いつも見守ってくれている。  ケンタウロスの一族の中に一人だけ人間が混じっていればそれだけで噂や中傷の的になる。酷い言葉を面と向かって言われた事もある。  人知れず落ち込む僕をすぐに見つけて、リュカは背中に僕を乗せてご神木まで連れて来てくれる。背中に乗れるのは僕だけの特別で、他のケンタウロスは体が邪魔して乗ったり出来ないしケンタウロスが人間の姿になるには条件があるから簡単にはなれない。  リュカの背中は僕だけの特等席だ。 「悩み、って程でもないよ? 最近はみんな飽きたみたいで悪口も言われなくなったし、狩りには行けないけど留守番組とも仲良くなってきたし」  リュカが一生懸命、僕の良さを皆にアピールしてくれたのと、長が僕たちの関係を認めたから乱暴な事はされた事はなかった。言葉の攻撃も、僕でも出来る一族の仕事をこなしていくうちになくなってきた。  最近じゃ女の子達の恋バナを聞かされたりもしてる。  少しずつだけど一族に溶け込んできて、この一族の中で一生を過ごすんだって漠然とだけど思っている。  それでも、向こうの世界に未練がないわけじゃない。 「……帰りたい?」 「え……?」  僕は驚いてリュカを見上げた。綺麗なリュカの瞳に星が映ってキラキラしていた。 「元の世界に帰りたい? やっぱり恋しいよね、向こうには家族や友達がいるし」 「……リュカ……」  僕のことを本当によく見てくれている。だから顔や態度に出ないように気をつけていたのに。 「……もし、あおばが元の世界に戻りたいなら……その方法を探そうか?」 「あるの……?」  こちらの世界に来れたのだから、向こうに行く術もあるかもしれないとは考えていた。だけど僕がここに来れた原因も分からないのにどうやって戻るかなんて絶対に分からないと思っていた。 「あおばが望むなら、何としてでも方法を探すよ。長に頼んで森の賢人に訊いてみるとか、大きな街に行けば本の沢山ある建物もあるみたいだし調べたら何か分かるかも」  もしかしたら、元の世界に戻れる方法が見つかるかもしれない。時間はかかるけど何か手がかりくらいは探し出せるかも。  そんな風に話すリュカの横顔は、暗闇の所為かとても哀しそうで。  僕は思わずリュカの首に腕を回して抱き着いていた。 「どうしたの?」  驚いた声で、でも僕の背中をポンポンと優しく叩く手はとても暖かくて。  なんだかその手が優しすぎるから、僕は泣きたくなってしまった。 「リュカは、僕が帰っちゃってもいいのっ!?」  元の世界に戻ればそのまま二度と逢えなくなるかもしれない。多分その確率の方が大きい。  僕とリュカは「運命の番」で、リュカの右肩には永久に消えないタトゥーがあって。僕の項にも消えない噛み跡がある。  毎日、どんどん惹かれていくのに。ほんの少し離れただけですぐ何処にいるか探してしまうのに。一秒一秒、好きな気持ちが募っていっているのに。  こんなに愛しいのに世界を隔てて別れるだなんて、そんな事僕には無理だ。 「逢えなくなっても平気なのっ!?」  リュカが僕を心配して提案してくれたのは重々承知している。だけど、僕たちは番なんだ。二人で一人なんだ。 「そんなのっ……嫌に決まってる! あおばとずっと、歳をとってもずっと一緒に生きていきたいよ! でもっ……あおばが我慢したり哀しむ方が僕は嫌なんだ……」  優しい、優しい、僕の番。僕のたった一人の運命の人。  そんな風に哀しい顔をしないで。僕はリュカの笑った顔が好きなんだから。 「だったら……哀しませないでよ、リュカ」 「あおば……?」  座っていても見上げてしまうリュカの頬に触れた。今にもお互い泣き出しそうで、胸が切なくなる。 「僕が今一番哀しい事は、リュカと離れてしまう事だから」  家族や友人も大切だし、向こうの世界で騒ぎになってないか心配だけど。  僕はこの世界でリュカと生きると決めたんだ。  たまに不安にもなるし揺らぐ時もあるけれど、リュカが居てくれたらそれだけで僕はいくらでも強くなれる。 「だから……ねぇ、リュカ。僕と一緒に生きていこうよ」  そして沢山、笑って暮らそう。たまにケンカもしよう。その後は必ず仲直りをして、また笑うんだ。  きっと毎日が特別で、毎日が平凡で、毎日が幸せになる。 「いいの? 僕は、あおばを一生離さないよ?」  リュカの手が僕の頬を包み込む。大きくて暖かい手。 「いいよ。一生、離さないで」  そして星灯りの下で僕たちは限りなく優しいキスをする。とても暖かくて、深い愛情のこもったキスを。    明るい太陽の光が瞼に落ちて目が覚めた。  なんだか随分、懐かしい夢を見た。あれはまだこっちの世界に来て間もない頃の記憶だ。  隣を見るとリュカがマッティアと一緒に眠っている。きっとあやしながら自分も眠ってしまったんだろう。  幸せそうな寝顔が並んでいるのを見て、僕はクスッと笑顔になる。  ――幸せだ。とてもとても。これ以上ないってくらいに。  あの日、この世界で生きていくと決めてリュカと心を通じ合わせてから僕の世界は毎日キラキラしている。  平凡で、ありふれた高校生だった僕。  今は平凡でありふれた、だけど少し不思議な世界で幸せに暮らす僕。 いつまでもこうして生きていこうね。二人から三人になっても。三人からもっと増えても。  いつもこの僕たちの世界が笑顔であるように――。  おしまい。 【感想はコチラまで→】柚杏@yua____n

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