535 / 713
アラクネとの戦い⑤
唐突に起きたその異変は、ダイイチキュウで過ごしていた際にクラスメイト達から散々、からかわれて尚且つ己の弱点であると自覚していた【カナヅチ】という性質のせいで真上へと戻るのを諦めかけていた時に起こった。
それは、どんどんと沈みゆく僕の服の裾を小さなナニかが口に咥えつつ、物凄い力で水面へ向かって真上へと引き上げていくというもの____。
とはいえ、毒の泉に落ちてしまったせいで意識が朦朧としていて__しかも、辺り一面にモザイクがかかったかのような視界不良に陥ったせいでハッキリとは見えなかった。
ただ、沈みゆく僕を助けてくれようとしているナニかがダイイチキュウにいた頃にも見かけた事があるような生き物だ、とボーッとする頭の中で思いながら生命の危機に直面しているにも関わらず、それが何の生き物なのかという事を漠然と考えてみる。
(そうだ……この生き物は__トカゲによく似ている――でもダイイチキュウにいた時に見たのとは違って――全体が血みたいに真っ赤だ)
毒の泉の中に、今まで【アラクネ】の玩具へと強制的に変えられてしまった、かつてはニンゲンだった哀れな存在――ニンゲンではなくともかつてはミラージュで暮らしていたであろう他種族だった哀れな存在――そういったものが太陽のようにキラキラと煌めく金糸の繭の中で苦しそうに蠢いている残酷な光景がモザイクがかったかのように視界不良となっている僕の目に飛び込んできた。中には、金糸の繭の隙間(アラクネがわざと作ったものかも)から、かつて自由に己の意思で動かしていたであろう青白い腕や手先が突き出ていて、真っ赤なトカゲによく似た生物に真上へと引き上げられていく僕の体を引き戻そうと必死で動かしているのが分かった。
それは、いまや哀れなる存在の彼らにとって主人ともいう【アラクネ】から強引に命令されたというよりも__むしろ、彼ら自身の僅かに残された意思で僕を毒の泉の底へと引き戻そうと、いうように思えてしまう。
(ごめん……君らだって__元にいた場所に戻りたいよね……必ず__仇はとるよ……だから__だから……っ……アラクネを早く……倒さなきゃ……)
仲間が待っている地上が徐々に近づいてくる____。
◇ ◇ ◇
【そ、そんな……っ……この子はカナヅチっていって__水に弱いってリッくんに聞いてたのに……どうして、どうして……あたしのナワバリの毒の泉から……脱出できたのよ……っ……】
僕がトカゲによく似た真っ赤なナニかの手助けによって毒の泉から脱出出来た事により、【アラクネ】は呆然としながら困惑を隠しきれずに攻撃をピタリと止めた。【アラクネ】の顔から汗が吹き出ているその様子から察するに__よほど動揺しきっているのだろう。今まで、積極的に此方へと敵意をあらわにして糸による攻撃を仕掛けていたのが嘘みたいだ。
そして、所詮は【アラクネ】が操るお人形でしかない【三人娘】も、主人の新たなる命令を待つばかり____。
その僅かな隙を狙って、ミストは意識朦朧として何事かを繰り返し呟く優太を助けるために回復魔法を唱える。
【アラクネ】だけでなく、ミストの額にも普段は滅多に吹き出す事がない球のような汗がジワリとにじみ出る。ミストの場合、優太を助けなければという焦りから多少の動揺はあったものの球のような汗が吹き出ているのには他にも原因がある。
いつ攻撃を再開するか分からない【アラクネ】から仲間達を守るべく防御魔法を唱えつつ、優太を助けるために回復魔法を唱えるという《二重詠唱》を行った事により膨大な疲労が蓄積しているせいだ。いくら、魔力が高いエルフで尚且つ魔法使いとして過ごすことを決意して必死に鍛練してきた身とはいえ限界がある。
もしかしたら、そのうちに自分も仲間である優太と同じように意識朦朧としてしまうかもしれない__と不安になりながらも《二重詠唱》を止めないのは、大切な仲間達を救うという確固たる信念が今にも倒れそうになっているミストの心を支えているからだ。
『……ゲ……カゲは____鳥に……』
と、必死で魔法詠唱をしているミストの耳に優太の消え入りそうな呟き声が聞こえてきた。詠唱は止めずとも、慌てて耳を寄せたミスト__。
『トカゲ___どこ……』
という呟きに関しては、何の事か分からないと首を傾げるミストだったけれど、もう一つの呟きに関しては一行の未来にとって、とても重要な事だと瞬時に判断した彼はすぐ側でこの事態を渋い顔つきで傍観しているサンに__ある一言をコソッと囁きかけた。
『サン___あの眠ったままのサエーナ鳥に向かって……矢を放って。早く……っ……』
ともだちにシェアしよう!