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目を覚ますは雨降りしきる宮殿前③

ポンッ、ポン……トトンッ____チリン。 雨が降り尚且つ霧が支配する視界不良の風景から、ふと不安にかられて立ち尽くす僕の方へと何かが飛んできた。 林檎のように真っ赤な毬だ。 目印のためにつけられているから分からないけれど、黄緑の紐に金色の鈴がついている毬で濡れた石畳の上に着地した途端に、先程はぐれかけた子猫の鈴みたいに風情な音を鳴らした。 「聞いた、聞いた?喜孔之童子(きくのどうじ……わらわ達が何してるって……そんなの、見れば一目瞭然なのに。ねえ、貴人は蹴鞠も分からないのかえ?」 「忌雀之姐姐(きじゃくのねえねえ)……蹴鞠は飽きたある……」 この雨降りしきる世界へ来る前に、ドクターCの研究所にて僕に奇妙な《どら焼き》を手渡してきた【銅鑼焼生娘】なる少女と、さほど年齢が変わらなさそうな少女と少年が何時の間にか僕の側に立っていた。 雨の降る中、彼らは蹴鞠をしていたらしい。 そのことも充分に奇妙なことだけれど、更に奇妙なのは彼らの容姿にあった。 肌はまるで、皹の入った枯れ木の如く皺だらけであり、彼らの身に纏う豪華な糸刺繍が施されたチャイナ服とは対象的な印象だ。 【忌雀之姐姐】とやらは、桃色のチャイナ服を身に纏い、更には腰まで伸びた長い黒髪を垂らしていて頭頂部には開ききった状態の扇型の孔雀の羽根飾りをつけている。 しかも、その片手には雨を凌ぐための桃色の番傘と先程、僕がはぐれかけて必死になって探していた白い子猫の抱き上げているのが見てとれた。 【喜孔之童子】とやらは、緑色のチャイナ服を身に纏い、更にはおそらくは肩よりも少し長めの黒髪を三つ編みで一つに纏めて尚且つ雀色の丸帽子を被っている。 此方は、相方とは違って動物を抱えてはいないけれども、その両手には僕にも見覚えのある遊び道具を手にしているのが見てとれた。 「此々……兄々や――蹴鞠は飽きたある。この喜孔之童子と忌雀之姐姐と共に双六をするあるよ……」 足音もなく、何時の間にか僕の近くまで来ていた【喜孔之童子】が、にいっと笑みを浮かべながらダイイチキュウでも馴染みのある遊び《双六》をするようにと提案してきた。 その予想外な提案にも面食らってしまった僕だったけれども、それよりも驚きを隠せずに思わず口をつぐんでしまったのは、つい先程までは白い霧に覆われて視界不良のせいで気付けなかった二人の不気味な容姿について新たな発見があったせいだ。 【喜孔之童子】、【忌雀之姐姐】___共に、口元が黒い針金のようなものでギザギザに縫い付けられており、普通であれば話せないであろう状態となっているのだ。 しかし、彼らの声は戸惑いの色を浮かべる僕の耳にしっかりと届いている。 ぞわり、と鳥肌が全身に駆け巡ったのは降りしきる雨粒に打たれた冷たさによるだけのものではない筈だ。 「ふふっ、わらわも蹴鞠には飽きてきたゆえ――喜孔之童子の提案に乗るとするかえ。どれ、わらわが最初に賽子(さいころ)を投げようかの……ほれっ……」 何時の間にか、濡れた地面に置かれた双六の紙の側に身を屈ませた【忌雀之姐姐】が半ば強引に【喜孔之童子】から賽子を奪うと、そのままそれを投げた。 双六の紙の上には、烏と雀と孔雀の駒が出現していたのだが僕は全く気付いていなかったのだ。 「ふむ……四____とは、面白きことになりそうじゃ。わらわは、貴人に問うぞ。この双六の出目紙の上にも書かれておる問いかけゆえな。富成す愛か富成す金――どっちかの?」 「えっ…………!?」 急に【忌雀之姐姐】から問いかけられ、僕は文字通り固まってしまった。 正確には、体が石のように固まってしまったとしか言い様がないくらいに徐々に自由を奪われているのだ。 そしてその異様な変化は下半身から、ゆっくりと上へ上へと昇ってきているのが分かるや否や、これ以上返答しない訳にはいかないと悟った僕は震える声で――こう答える。 「と……富成す……愛……っ____」 その途端、【忌雀之姐姐】や【喜孔之童子】の姿が消え去っていく。 ゲラゲラと笑いながら消え去った彼らの行方を気にかける時間さえもなく辺りの景色に変化が現れる。 雨は降りしきるものの、先程まで四方八方を覆い尽くしていた白い霧はまるで嘘だったかのように晴れていき、やがて残された子猫と共に立ち尽くす僕の目に赤い屋根と赤い柱が特徴的な白亜の宮殿がある景色が飛び込んできたのだ。 中央部分に紫の絨毯が敷かれていて何十段もありそうな灰色の階段が己を迎えようと眼前にあるのを見て、ついさっきまで自由を失っていた体が元に戻ったのを自覚した僕はゆっくりと前方へ歩いて行くのだった。 離ればなれになってしまった大切な仲間が、目の前に広がる宮殿内にいるのを必死で祈りつつ、彼らを探し出すために____。

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