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白霧の夢②

(あれは___あの少女は……何故、真上に咲き誇る桜の木には目もくれずに……必死で泥を捏ねてるんだろう……でも、何故か目が離せない) もう少しで地に着きそうなくらいに長いざんばらな黒髪を白い紐で一纏めにしている少女は灰色の襤褸を身に纏うみすぼらしい容姿で、白黒の二色しか存在していないこの場でも目を引く桜の木や舞い落ちたとたんに蝶々に変化する白い花弁といった物とは正反対で幻想的な美しさとはかけ離れた存在に思えてしまう。 先ほどから、ひたすらに黒い泥を捏ねているという意味不明な行為をしているものだから尚更だった。 しかしながら、それでも目が離せない。 暫くそうして眺めているうちに、どうして泥を捏ねている少女から目を離せないのかが、ようやく理解できた。 【嘿嘿……嘿嘿……】 少女の顔が此方へと動き、あまりにも突然のことで驚きを隠せない僕と目が合ったとたんに片腕を伸ばしつつ細長い五本指を上下にゆっくりと動かしながら意味不明な言葉を発して僕を己がいる場所へと誘うかの如く語りかけてくる。 少女が【嘿嘿……】と語りかけてく度についさっきまでは歪とはいえ丸い形だった黒い泥が段々と人型へと変化していく。 元は歪ながら丸い形だった黒い泥はひとつやふたつだけでなく、いつの間にか僕を取り囲み逃げる道が閉ざされてしまうくらいには沢山存在していたのだ。 僕が気付かないうちに、あっという間に辺りを埋め尽くすくらいに【黒い泥】が存在していたという異常事態にまったく気付けなかった。 【人型】と化した黒い泥の群れは変化を止める気配はないようだ。 その中には【誠や引田】といった人間がいる____。 その中には【ミストやサン】といったエルフもいる____。 その中には【僕が全く知らない】謎の人物や種族までいる____。 しかしながら、無表情のまま群れの皆が皆――同じ言葉を淡々と繰り返し発するのだ。 【嘿嘿……嘿嘿……】 手招きをして、僕を――《あちら側》へと誘っている。 その中に、ふと会いたくて会いたくて堪らない存在を見つけてしまった。 【想太】____僕の双子でミラージュに来てから一度も会えていない大切な存在。 黒い泥の群れの中で、他は皆――無表情であるにも関わらず、【想太】だけは幼い子供の格好で白い花弁が咲き誇る桜の木の真下で悪戯っぽく笑みを浮かべている。 偽物だなんてことは、分かりきっていた。 (でも、でも……それでも会いたい……すぐ側に行って、今まで一人にしてごめんねって謝りたい……っ……偽物だとしても……久々に抱き締めたい) おそらく、ここにサンがいれば得たいの知れない世界に迷い込んで深く考えもせずに危なっかしい行動をしようとしている浅はかな僕を厳しく叱りつけるに違いないのだろう。 僕は桜の木の真下で子猫のように悪戯っぽい様を見せつけつつ手招きをして「嘿嘿……」と繰り返し発するという誘惑に負けてしまい、そちらへ向かって駆け出した。 先ほどまで、ナニかが纏わりつき鉛のように重い足取りだったのが嘘だったかのように、あっという間に桜の木の下へと辿り着けた。 いつの間にか、少し前に出会った【忌雀之姐姐】と【喜孔之童子】が、身を屈ませつつ黒い泥を捏ねるみすぼらしい少女の側にいて満面の笑みを浮かべながら此方をジッと見つめている。 【 夏季昆虫飞入火中 】 今まで身を屈ませながら黒い泥を捏ね続けていた、みすぼらしい少女がすっと立ち上がり桜の木の枝をぽきりと折ってから無言で空中にその文字をなぞった。 その少女が書くにしては達筆すぎる文字が意思を持ったかのように動き出し、石みたいに固まってしまった体の周りを取り囲んだ時にようやく途徹もない危機感と恐怖に襲われた 。 少し前に猿田が言っていたことを思い出したせいだ。 (飛んで火にいる夏の虫――つまり、ここは彼が支配している世界ってことだ……早くここから何とかして逃げ出さなくちゃ……でも、どうやって____) ここにきて、一人だという不安が僕を支配する。 そして、僕は結局は一人じゃ何もできないという事実までも容赦なく襲いかかってくる。 そんな僕の不安や弱い自分に対する不甲斐なさを全て知っているかのように思いも寄らなかった異変が起こる。 【想太】の格好をした泥も、【誠や他の仲間】の格好をした泥も――それ以外の泥の群れたちも人型ではなく元の形へと戻っていく。まるで、熱で溶けた蝋のようにドロドロになっていき、やがて僕の真下へと集っていく。 それだけじゃなく、僕を丸ごと飲み込もうとしているのだ。 抵抗しても、抵抗しても――全くうまくいかない。 それどころか、もがけばもがく程にどんどんと黒い泥の池へとはまっていき、もう手先しか残っている箇所がないというところで急に指先に激しい痛みを感じるのだった。

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