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お遊戯は終わりだ②

最初は、どこから自分を叱責する叫び声が聞こえてくるの見知っているはずの声の主の姿が、いくら周囲を見渡してみても見つけることすらできなかった。 けれど、それから暫くたち、ようやく声の主が分かった。周囲に広がる見せかけの【海の楽園】からではなく、僕のすぐ側から訴えかけてきていることに、やっと気付けたからだ。 僕は、懐かしい声が聞こえてきた箇所――この【見せかけの海の楽園】に来る途中で手に入れた剣に手をかける。 本来なら、無機物であり冷たいはずの剣は僅かに暖かいような気がする。 「犬飼くん……ずっと、僕に呼びかけてくれてたんだね。気付かなくて、ごめん……でも、どうして……」 『ば、馬鹿野郎……っ____べ、別に……てめえが気になったとかじゃねえからな……てめえが、あいつらを助けだすっつーだけのことに、あんまりにもじれってえからアドバイスしてやったんだ……つーか、そんなことなんかどうでもいいだろうが!!』 僕と犬飼が口論している間にも、《休息》と《愉悦》という甘い蜜をダシにして【怒り】や【悲しみ】といった概念のない楽園のようでいてその実は地獄というこの《海中世界》に引きずりこむ合図ともいえる銅鑼の音は鳴りやまない。 『ちっ……やっぱり時間がねえか。いいか、あの気持ちわりぃヤツはどうにかして、てめえをこの海中世界に引きずり込むつもりだ。てめえらと離ればなれになっちまった俺はあれから、何としてもそれだけは阻止しろって、あるヤツに命じられたんだよ……こんな姿になってまでもな。まあ、俺様がやるべきことはそれだけじゃねえんだが……とにかく、てめえは何としても、あの気持ちわりぃヤツの攻撃をかわしながらあの二人を助け出すんだ……分かったな!?』 そして、サメのような下半身の人魚は槍を宙へと真っ直ぐに振り上げる。 ズズンッ____ その直後、銅鑼のものではない大きな音が鳴り響き――それと同時に世界全体が揺れた。 僕と犬飼はよろめき、驚きの表情を浮かべながらバランスを崩してしまう。 そうなったのは、下半身がサメで赤い目を光らせている人魚が槍を壁面に勢いよく突き刺したからだ。様々な形をした貝や、ヒトデが蠢いている壁面に槍を突き刺した途端、その切っ先に素早く吸着して――今までは銀色だった槍が唐突に黄金色に光り輝くと戸惑いの色を浮かべている僕の方へ槍の切っ先が向けられる。 そして____、 「な……っ…………!?」 まるで、銃に込められた弾丸の如く壁面から落ちてきて槍の切っ先に突き刺さった貝やらヒトデやらが僕の方へ素早く飛んできたかと思うと、そのまま一斉に岩場に群がるフジツボみたいにびっしりと僕の体を覆い尽くしてしまった。 それと同時に、いいも知れぬ幸福感が僕へ襲いかかってくる。 【全部、全部忘れなよ……外の世界は大変なことばかり】 【それに比べて、ここはみんなが笑顔になれる……こんなにいいことはないだろう】 【学校に仕事、面倒くさいニンゲンカンケイだって……まったくない――ここではみんなが楽しめる……いわば、楽園さ】 そう言いながら、僕の体にはりついたまま決して離すまいとしているモノたちは徐々に徐々に――とはいえ確実に僕の力を奪っていく。力というよりかは、エネルギーといった方が正確なのかもしれない。 体からみなぎる力を奪っていっているというよりも、僕の精神からみなぎる力を奪っているのだ。 それは、つまり僕が【珊瑚の大樹】に捕らわれの身となっている誠や引田を救いだそうとしている意思を奪おうとしているといっても過言ではなかった。 それを証明するように、僕の肌の様子が変わっていく。 肌に噛みつきながら、ちゅうちゅうと音をたてつつ、纏わりついたままの貝やらヒトデやらが吸いついているせいで誠や引田だけじゃなく、僕の見た目までもが鱗に覆われつつあり――最悪の場合、この【人魚化】が脳にまで達して【喜びしか存在しない世界に永住する】といった概念によって洗脳されてしまうに違いない。 (それだけは……ダメだ……ダメだ……ダメ……だっ……) 必死で為すすべもなく襲ってくる幸福感に抗いながらも、これからどうすべきなのかを考えているうちに、ひとつ案が浮かんだ僕は半ばやけくそになりながらも犬飼の魂と同化している剣を【珊瑚の大樹】の方へ向かって渾身の力を込めて投げるのだった。 その結果、【珊瑚の大樹】の枝先から伸びている蔓は剣の鋭い切っ先によって切ることができた。 そして、あと少しで【喜びしか感じられなくなる人魚】と化してしまう誠と引田は、そのまま真っ逆さまに貝の残骸やら白い砂が敷き詰められた地へと落ちていく。 不思議なことに、今僕を狙っているサメ人魚であれ、周りの人魚の群れであれ――いずれにしろ半人魚と化した誠や引田へは攻撃を仕掛けようとしない。 それどころか、真っ逆さまに落ちていった二人を大切そうに巨体な宝箱の中へと収めると、そのまま何もせずに守ろうとしているかのように皆で大きなあぶく泡を作り、その中へと閉じ込めるのだった。 そうこうしているうちに、九回目の銅鑼の音が鳴り響く。 やっぱり、時間がない____。 そう思った僕は、【珊瑚の大樹】の拘束から取り敢えず二人を救ってブーメランのように手元へ戻ってきた剣(犬飼くん)を力を込めて握り直すと、今度はサメ人魚の攻撃をどうにかするべく勇気を振り絞って再びそれを投げるのだった。

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