647 / 713

小型の狼獣人と終わりゆく海中世界②

とにかく、時間がない。 何とかして、あのサメ人魚に致命的なダメージを与え、その隙に僕の【心臓】を取り返さなければ既に敵の手中に堕ちてこの異様かつ不気味な海中世の住人となりかけつつある誠と引田と同じ目に合わされて二度と元のミラージュに戻れなくなってしまうのだ。 もちろん、小型の狼獣人と化した犬飼くんも何とかして黄金の台座に垂直に置かれた槍の先にある僕の【心臓】を取り返そうとやっきになっている。 でも、槍が置かれた台座には外側に頑丈な泡の膜があり、更に守護者だといわんばかりに立ち塞がるサメ人魚の泳ぐスピードは狼獣人となつた犬飼くんのものよりも遥かに素早く攻撃しようにもするり、するりと交わされてしまうために【心臓】を取り戻すのは容易なことじゃない。 《火事場の馬鹿力》――いや、ここでは《水場の馬鹿力》というべきか。 僕はうまく動かすことのできない右手で、ズボンのポケットをまさぐった。 もちろん、何の考えもなくがむしゃらにやった訳じゃない。 サメ人魚に大きなダメージを与えられる打開策を思い付いたのだ。でも、絶対に上手くいくという自信はない。 それでも、行動に移したとは――この打開策に必要な存在である犬飼くんに目線をやった時に彼が一度大きく頷いたからだった。 その頷いた意図すら、明確に察せられたという自信なんてない。 けれど、ここで二人で打開策を言葉に出して言い合う訳にはいかないのだ。サメ人魚は、元人間だった。しかも、ダイイチキュウから連れて来られた人間に思えた。 サメ人魚にはダイイチキュウにいた人間だった頃の《知能》が、まだ残っているかもしれないという大きな不安が付きまとう。 つまり、僕と犬飼くんがダイイチキュウの言葉で打開策を言い合うことは、サメ人魚にそれを知られて全てが水の泡になってしまうかもしれないということ。 それだけは、避けるべきだ。 覚悟を決めた僕は、ズボンのポケットにしまっておいた物――《タツノオトシゴ型のおもちゃ》を取り出すと、それをサメ人魚のいる方へ向かって出来る限りの力を込て投げる。 しかし、その《タツノオトシゴ型のおもちゃ》はヘロヘロした情けない軌道を描きながら、まるで違う方へ移動してゆく。 すると、それを前もって理解していたといわんばかりに犬飼くんがそっちの方へと素早く移動し、それだけでなく僕の考えていた通りの行動をしてくれる。 僕は、言葉では明確に示せないその指示をウィンクに込めて表現した。いちかばちかだったけれど、言葉で示すよりかはリスクが少ないし、猿田とは違って犬飼くんを《頭の足りない単純なクラスメイト》なだけとは思っていなかったため攻撃してくれと目で合図した。 それに、僕の意図はそれだけじゃない。 いくら硬い鱗に覆われたサメ人魚であろうと、必ず弱点はある。そのことがずっと引っかかっていて、それは果たしてヤツの体のどこにあるのか――と考えていた。 そして、答えを導き出せたため――犬飼くんへ《目》で合図したのだ。 サメ人魚の岩みたいに硬い体にも、柔らかい箇所はある。 目だけは、柔らかいままなはず____。 大きな賭けといえば、賭けかもしれない。 けれど、最期の時間が迫っている中で行動しない理由などあるはずもない。

ともだちにシェアしよう!