＊ さっきまでのことは、全てが夢だったのではないか＿＿＿＿。 そう思えてしまうくらいに、あっという間に《喜び》という概念しか存在していなかった奇妙な海中世界から騒がしい宴会が繰り広げられ、尚且つ琵琶の音や二胡の音――それに笛の音といった優雅な音が響き渡る小部屋に戻ってきた僕らはついさっき現れた女の人の方へ再び目線を向けた。 僕と犬飼くんは、半ば強制的に多数の楽器が鳴り響く部屋に引き戻されてしまい困惑の色をあらわにしつつも、どこか懐かしさを感じつつ急に現れた乱入者である女性を観察してみた。 花火の玉よりも僅かに小振りなくらいの大きくて真っ黒な首飾りをつけている女性。 首飾りをぶらさげていることによる重さなど、全く感じないといわんばかりの涼しげな顔を此方へと向けて微笑んでいる。 まるで、ダイイチキュウの美術室に飾られていたモナリザのごとき聖女の微笑。胸元で静かに組まれた彼女の両手が、尚更に優雅さを醸し出している。 そして、真っ黒な首飾りとは正反対の真珠の如き真っ白で光沢さを放つビロードの着物の対比の様と、出会った時からずっと閉じられている彼女の両目の様とがとても神秘的であり僕らは思わず息を呑んでしまった。 いい具合に引き上げられている美しい形の唇には、紅がうっすらとひかれていて、それも彼女に見惚れてしまう要因となった。 けれど、ボーッとしている場合じゃない。 「あ、あの……昼子様って――誰のことなんですか？それに、ご婚礼の儀礼とは……いったい＿＿＿＿」 と、美しい乱入者の女性から目線が釘付けとなったまま半ば意思とは関係なく咄嗟に言葉が出てしまった。 本当は、他にもっと聞きたいことがあるはずなのに＿＿＿＿。 すると、僕の問いかけた内容の答えを口にするよりも先に自然と妖艶な美を放っている女性が口元を綻ばせ笑みを崩すことなく懐から何かを取り出して此方へと差し出してきた。 持ち手の付いてる手鏡なのだけれど、鏡面は墨汁みたいな黒い影に全体が覆われてしまっていて何も見えない。これでは彼女が何故、此方へと差し出してきたのかも分からない。 「＿＿＿＿もっと、近づいて鏡面を深く覗いご覧。めんこい童子よ、さすれば先刻の問いかけの答えが分かろうぞ。ほれ、ちこう……ちこう＿＿＿＿」 警戒心は抱いたけれど、このままじゃ僕の問いかけに対する答えは永遠に聞けないままだ。 自分ですら《昼子様》という単語に強烈に心を引き寄せられた理由なんて、よく分からない。 けれど、どうしてかこの鏡面を覗き込み、更にまじまじと見つめなければいけないという強迫観念を抱いた。 「こ、これ……って＿＿＿＿」 思わず間抜けな声を出してしまったのは、先ほどまでは真っ黒だった鏡面に――ある光景が写ったからだ。 更に、それは意思を持つ生物のように立体的となり覗き込んでいる此方へと迫るように浮かびあがってくる。 まるで、この光景からは決して逃れられないぞといわんばかりに＿＿＿＿。 「ま……まさか、昼子様って……この……エルフ＿＿＿＿ううん、僕らの仲間のナギのこと……っ……！？」 鏡面に写ったのは、豪華な金の装飾が施された玉座にて余裕綽々な笑みを浮かべるスーツ姿の男【金野 力】と、その隣には焦点の合わない瞳で虚空を眺めるばかりのナギの姿だった。