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一角獣の出現①

すると、少ししてからコンクリートの地面に落ちた缶に異変が起こった。 開ききったプルタブから、まるで湯けむりのように真っ白なもやがもれている。 しかも、単にもれて僕達の周囲を取り囲んでいるわけじゃなくて、その真っ白なもやは意思を持った生き物のように、漂うだけの無形なもやからハッキリとした形となって僕らの前に立ちはだかるのだ。 最初は、それが何の形かなんて分からなかった。 というよりも、ダイイチキュウで暮らしてきた経験のある僕ならば何らかの形で一度は見たことがあるはずだというのに、何故それが僕らの前に立ちはだかる状況になったのかという疑問にばかり気を取られて瞬時には気付けなかった。 全身が真っ白な毛に覆われた一頭の馬だ____。 青白く光り、頭を垂れつついななくその様は、とても幻想的でまるで絵画のような光景だ。 すると、その直後――その幻想的な白馬が片足の蹄をコンクリート地面に何度か打ち付け始めた。その度に、全身を覆う白い毛が風になびき、ただでさえ魅惑的な姿が拍車をかける。 更に不思議なことに、なびき始めた白い毛がタンポポの綿毛のように風の動きに合わせながら周囲に飛んでいく。 しかし、一定のリズムで蹄を打ち付けるコツコツという音が鳴り止むことはない。 そして、その蹄のリズムを聞いているうちに――あることに気付いた。 僕はこのリズムを知っている。 ダイイチキュウの学校に通い続けていた僕がこのリズムを知らない訳がない。 今はこの場にはいないけれど、もし誠や引田がいても満場一致で《このリズムを知ってる》と言うだろう。 この蹄のリズムは、ダイイチキュウの学校の始業前の音楽だった【海の白光】。体育教師兼生活指導担当だった鬼根塚が毎日僕らに聞かせていた音楽のものなのだ。 『バカのひとつ覚えだよね。でも、まあそんな一途なところが____』 ____魅力的なんだけどね、と親友である犬飼くんへ話していたのは、猿田ではなかったのか。 それはつまり、猿田は鬼根塚へと特別な感情を抱いていたということになる。けれども、その彼の淡い思いは【裏切り】という形で終止符を遂げた。 鬼根塚にとって猿田の存在は、クリスマスの日に子供が欲しがるような都合のよいオモチャでしかなかったのだ。 そんな噂を元クラスメイトの誰だったかから聞いた僕は当事者ではないけれど、少なからず同情心を抱いて寂しそうに教室から出て行こうとする猿田を哀れみの籠った目で見つめたことを思い出す。 (あの日から猿田はずっと僕を憎んでいたのかもしれない____だから、こんな……) 罪悪感を覚えた瞬時、突如として目の前にいる不思議な馬が発する蹄の音がピタリと止んだ。 【乙、お前は……悪い子だ____先生の言うことをききなさい。さもなくば、痛い目にあうぞ】 これは、鬼根塚の怒った時の声色だ。 成績が優良な生徒を《甲》と呼び、それ以外の評価にさえ値しない所謂底辺な生徒のことは《乙》と呼ぶ鬼根塚は引田が《引きこもり》となったきっかけになったともいえる。 更に、気にいらない生徒には体罰を繰り返していたという噂もある極悪な教師だが、外面はよく猿田も最初はそんなところに惹かれてしまったのだ。 つまりは、今――僕らの目の前にいる不思議な馬は激しいマグマのように《怒り》がわいている可能性がある。 僕はなるべく《敵》に悟られないように目配せだけで隣にいるサンへと警告した。ダイイチキュウの事情に詳しくはないが賢く冷静な彼であれば、僕の意図を汲み取ってくれるはずだと今まで共に歩んできた経験から本能的に察していたのだ。 「…………」 サンは何も言うことなく、ましてや僕の意図を批判することもなく静かに深呼吸した後に小さく頷いてから武器である弓を構えるのだった。

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