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【無】が支配する世界に埋まる一輪の希望①

暫くはソレらから目を離せずにいた僕だったが、やがて目が慣れていくうちに、ある思いが頭の中を支配していることに気がついた。 不思議なことに、それは僕自身の思いというよりは《僕》ではない誰かの心の声のように思えてならないのだ。 『これは、アーリという彫刻家が作った最高傑作だよ。まだ子供である君には、このよさが理解できないのだろうな』 《僕》じゃない誰かの思いが流れ込んで____、 『ただの石の固まりであり《無》でしかないカレらにとって――私達の姿はどのように見えているのか想像するとワクワクしないか?きっと此方が化け物のように見えているに違いない。そうは思わないか……』 《僕》の心を支配し埋め尽くしてゆく____。 それは、喜びでも好奇心でもない。 ただ、ただ____悲しみ、絶望といった【負の感情】が、まるで壺から零れ出すインクのように《僕》の心に染み付いて汚していく。 そして、それから更に時間が経ち――突如として《僕》の心の中に意図せず流れ込んでくる【だれかの声】の声色が変わった。 ついさっきまでは、ダイイチキュウのテレビでも聞いたことのある、《声を誤魔化すために意図的に仕組んだ機械音》みたいな一定のリズムを保った無機質な声色でしかなかったのに、《僕》が無意識のうちに一筋の涙を流したのが合図だといわんばかりに突如として乱暴かつ獣じみた低い声色となったのだ。 『本当に君は美しい。私の生徒の中でも、極めて美しい……まるで私の愛する彫刻――あの偉大なるアーリが創造した《メデュサの涙》のように。それなのに、君は私を裏切り傷つけた……真に美しいものは、私を裏切らない筈なのに……悪い子にはお仕置きだ』 「こ、これは――」 (鬼根塚先生の声だ)____と思いつつ、僕が驚きの声をあげた途端に、さっきまで《黒枠》の画面内を埋め尽くしていた幾つもの《不気味な白目》が赤く光り、更には血の涙を流し始めたのだ。 そして、その直後に《僕》の体を襲う鈍い痛み____。 まるで、ハンマーで体を殴られているのではないかという重苦しい鈍痛____。 これだけ重々しい鈍痛が襲ってくるのに、僕は顔の筋肉さえ、ろくに動かせない。 それに、心の奥深くでは本能的に『この黒枠から逃れなくちゃ。急いでこれをどこかへ向かって放り投げなくちゃ――』と分かってはいるのに、そう思えば思う程に体も心も僕の考えを拒絶してしまう。 《黒枠》の画面から僕の様子を穴があく程に覗き込む複数の《不気味な目》から流れる血の涙が本来あるべき所から意思をもった存在さながら飛び出していき、《黒枠》を持ったまま微動だにできない僕の腕をまるで蛇のようなゆっくりとした動きで伝っていく。 もう、何が何やら分からずに――しかしながら何かしらの行動をしようにも《敵》の攻撃によってそれも出来ずに困惑する僕の耳にまたしても《声》が聞こえてくる。 【オー、イッツ……エクセレント!!】 【この《作品》の何たる《生への執着》――そして、余が描いた死を型とした絵画との見事な美しさと均衡さ。余は感動した……よもや、直視しとうもない醜い身となりながらも――このような行幸を得ようとは…………。お主たちの導きのおかげぞ!!】 【皆さん、見てください。あの《作品》の怯えた目の中に輝きを放つ儚い生に執着する魂の強さ。我々が失った審美眼とニンゲンという肉体を取り戻すには、あの黒い影の言う通り、我々がその身を乗っ取ればいいのです。だが、厄介なことにもう一体……別の《作品》がいる。その作品の輝きを完璧に乗っ取らなければ……耳の長い浅黒い肌の《作品の持つ輝き》を____我々の中に取り込まなくては……っ……》 でも、今度はダイイチキュウでの学校で馴染みのある【鬼根塚先生】のものではないと分かる。 それどころか、全く聞き覚えのない何者かの複数の声が聞こえてきたのだが、それはともかくとして《黒枠の画面》から覗き込んでくる奴らが何のことを話しているのかは困惑しきっている僕でも何とか理解できた。 奴らは、僕よりも先にサンを探し出してから更に危害を加えないといけないと考えているのだ。 おそらく、《奴ら》は今の僕のように何らかの危害を加えてはいたものの、魔力を持つサンは自力でその魔の手から逃れて《奴ら》さえ知らない何処かへとその身を隠しているのだろう。 そして、《奴ら》が最初に言っていた《作品》とは紛れもなく僕のことなのだと理解した。 (このまま何かしないままでいると、ヤツらによって、一生この作品とやらの中に閉じ込められたままニンゲンですらなくなってしまう……いったい、どうしたら____) 徐々に体が彫刻さながら固くなっていき、ろくに身動きすら取れなくなっていく中で必死で頭をフル回転させて、どうすれば生き残れるのか――どうすればニンゲンのまま仲間達を救うことができるのか考えた。 (とにかく、このゲームの中にある石化みたいな敵の攻撃さえ凌ぐことができれば……いや、というよりも、僕一人でヤツらと戦うのは確実に危険だ) 必死で考えを纏めようとするものの、霧がかかったかのようにモヤモヤとしてモザイクさながらハッキリとしていない頭のせいで中々うまくいかない。 石榴の種の如く真っ赤に光るヤツらの目を強制的に見せ続けられるといった拷問にも等しい時間は刻々と過ぎてゆき、それに伴い――体全体がズッシリと重くなりじわじわと自由を奪っていく。 (いや逆にいえば、この場さえどうにかすることができればいい……っ……でも、どうする……どうすれば体が固まりつつあるピンチな状況下でヤツらを惑わすだけの時間稼ぎができるんだ……何か、何か……利用できるものが辺りに転がってないだろうか) 『あまりにも複雑に考えすぎるな。単純なことだ。それを、やればいい……しっかりしろ!!』 どこからか、愛しい誠の叱咤の声が聞こえたような気がした。 その瞬間、ほぼ本能的に僕は黒枠の画面内へ向けて渾身の力を込め、頭突きをするのだった。 そうだ、僕には体だけじゃなく頭という武器があるじゃないか。 それに、迷った時にアドバイスをくれて、きちんと叱ってくれる《仲間》もいる。 《黒枠の中》、あるいはヤツらが描いたという《生ける作品》という狭い世界に閉じ込められているのは自分たちだということに哀れにも気づけず、間違った己の価値観に酔いしれているヤツら――【生ける彫刻】のように醜い存在じゃないんだ。 僕は、温かい血が流れることのない《彫刻》じゃない____。 僕は、温かい血が流れているニンゲンだ____。 だからこそ、自分の身を削ってでも仲間を助けることを望み、強固な意思を手放さなければ、それを実現することだってできる。 それから暫くして【黒枠の画面内】にヒビが入り、中から苦しげな断末魔が聞こえているのが、その証拠だ。 一刻も早く、どこかに隠れているサンを見つけなくちゃならないと自覚し直した僕は徐々に元に戻りつつある体を何とか奮い立たせて立ち上げる。 決して、完全に元に戻った訳じゃない。 何とか動かせるとはいえ、重々しさはまだあるし――更には両足にまるで雷に打たれたかのようなビリビリとした痺れがあるのは事実だ。 だけど、ここで諦めてしまったら僕は【黒枠】の中にいて悶え苦しんでいる【ヤツら】――ダイイチキュウ(旧校舎)の美術室に飾られていた彫刻そっくりな【ヤツら】と同じようになってしまうと思った。 だからこそ【ヤツら】が多少なりとも苦しんでいる今のうちに、体は重々しいままだし、更にはサンを見つけるための当てはない。 でも諦めることなく自分自身が前へ進むために、どんな苦境に陥ってもそれを何とかしてでも振り切ろうという決意をもって行動に移したのだった。 相変わらず、辺り一面は白い砂浜が広がっている。 それでも、挫けることなく一歩一歩確実に前へと進んでいく。 仲間のためにも、自分自身のためにも____。

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