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よく聞いて。心は【無】じゃないんだよ①
_____甘い。
チョコレートみたいに甘い。
でも、それでいてオレンジみたいに酸っぱい。
口の中に広がる味覚は、僕にとってとても意外だと感じるのは、またしてもかつての学校の教室の中で聞いた覚えのある青木と顔すら思い出せないクラスメートとの会話の内容だ。
『アリってさ、苦いらしいぜ』
『うえ~……お前、アリ食ったことあるのかよ。マジで無理だわ』
『ち……っ……ちげぇよ。わざと食った訳じゃねえし。こっちが食いたい訳じゃなくて、あいつらが勝手に口の中に入ってきやがったんだ』
そして、クラスメイトの彼らのまるで意味すらないような些細な会話を聞いていたのは、僕だけじゃなかった。
【猿田くん】も聞いていた。
じっと黙って、優等生かつ冗談まじりの会話が大嫌いで『馬鹿じゃないの』といわんばかりに冷たい美術室に置いてある彫刻みたいに空虚な目を向けながら。
そして、その直後に一瞬だったけれど無表情な彼と顔が合ったことも思い出した。
少なくともその時だけは、普段は気が合わずに碌に話したことすらない【犬飼くん】と同じ思いを抱いていたのを全て見透かされたように彼はそっぽすら向くことなく僕を黙って見つめていた。
(彼に――猿田くんに嘘をついても無駄なんだ……彼には僕の気持ちなんてお見通しなんだから……)
そんな、ダイイチキュウで過ごした思い出に包まれながら僕はゆっくりと堕ちていく。決して不快な訳じゃないのは、口に入ってきた蟻みたいな黒い何かの味が耐えられないくらいに苦い訳じゃなく、更に身体的に痛みや苦しみを微塵も感じていないからだろう。
まるで、暖かい布団に包まれ――布団の中で奇妙な夢の世界へと誘われてゆく時みたいに気持ちよく堕ちていく。
無意識のうちに、『サン』と口を動かしたことに気付かないくらいには心地よさを感じてしまっていた。
(何もかも忘れて、ここにずっといたい____)
【サン、サン……僕はサンのことが大好き】
【サンみたいに格好よくなりたい!!誠、引田……誰、それ?そんな奴らなんて知らない!!】
【サンだけといる、この世界に……ずっとい____】
と、何時の間にか無意識のうちに発していた直後のことだ。突如として、強引に《暖かい布団の中にいる感覚》から引き戻され、更に体が宙に浮く感覚が襲ってきた。
それと共に、必然的に僕のぼんやりとした意識も強制的に引き戻されてしまう。
「まったく、しっかりしろ。ユウタ……お前はマコトを裏切るつもりか!?そんな腑抜け、私には必要ない。お前の一方的な愛など、私はいらない……だが、勘違いするな。それは仲間でないと言っているわけではない。私は間違った愛などいらないと言っているだけだ」
「サン……ぼ、僕……いったい何を口走って____」
復活したサンから、雷の如く激しい叱りの言葉を貰ったにも関わらず、僕の頭は相変わらずぼんやりとしたままだ。まるで、白昼夢に襲われているような至極曖昧な状態でありながらも今陥っている状況を何とか理解しようと頭の中で整理しようと試みる。
しかし、だ____。
【ひ、酷い……酷いよ__サン。僕はサンのことを心から愛しているのに……】
【マコトなんて何とも思ってない。だいたい、引田って誰なの!?僕はサンのことを見ていたんだ……あの時、あの顔を盗む変な魚の魔物に襲われて君が助けてくれた時から……ずっとサンを愛しているのに、何で分かってくれないの?】
自分の意思と関係なく、どんどんと変なことを話してしまう。
「だから、いったい何を言って…………」
と、ここまではついさっきまで怒った声を出していたサンと同じだった。
しかし、問題なのはその直後のことだった
。
【____ああ、そうだな。私にはお前しかいない。さあ、共に最高の終わりへと旅立とうではないか】
眉をひそめつつ怪訝そうな顔をして怒った声をあげていたサンの言葉が、まるで停止ボタンを押したカセットテープのように唐突に途切れ、そしてその直後には満面の笑みを浮かべながら此方へ優しい言葉をかけてくる。
(これは、今起こっていることは明らかに異常だ……)
僕は分かりきっていた。
それなのに____、
【うん、やっと……分かってくれたんだね。サン、サンがいてくれたら僕には何もいらない……だから、僕と一緒に無の世界へ……】
とうとう言葉だけでなく、体まで自分の意思が効かなくなってしまう。さながら童話の《王子様》と《お姫様》がラストで結ばれた時のように 幸せそうな笑みを浮かべつつ強引にサンと抱き合う形となる。
そして、ズブズブと徐々に体が白い砂へと沈みゆく最中に僕の目が不気味な程に穏やかに頬笑むサンの背後のある場所へと向けられた時のことだ。
とても、気になる物を見つけたのは____。
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