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【黒のシュヴァリエ】幸原果名
「寒い……誰か……」
誰もいない深夜の荒野でセナは蹲っていた。遠くから狼の遠吠えが聞こえる。
──このまま……死ぬんだ……。
意識が揺れる。もう、どのくらい時が経ったのだろう。気がつくと遠くにいたはずの狼たちがセナの周りを囲んでいた。もう終わりだ。薄い三日月に照らされ無数の影が蠢いている。なす術もなくただそれを見つめていると。
突然漆黒の闇が目の前に広がった。
大きく広がる羽。妖しく光る紅玉色の瞳が揺れ、冷たい両手が攫うように自分を包み込む。息を荒げた狼の群れが襲いかかってきた瞬間、セナはその得体の知れない何かに抱かれ地上から浮いていた。
「……助けて……」
浮遊する感覚に身を委ねて、セナは意識を手放していた。
「……天使さま……?」
「この姿が天使に見えるか……?」
薄暗闇に目が慣れてくる。紫がかった長い黒い髪。額に光る滴が埋め込まれている。それと同じ紅玉色の瞳。尖った耳にはいくつもの飾りが付いている。濃紺の見たことのない衣を着ていて、それが人の精気を食すると昔からの言い伝えのある魔族の男だとわかった。
「私はルカ。おまえは?」
きゅっと口元を引き結ぶ。寝台の上で温かな毛布にくるまれていた。なのに身体が震えている。その男の異様な姿が怖くてセナは怯えていた。
「人の子よ。あんなところに一人でいるなんて、死ににきたようなものだと誰でも思うぞ」
身体を掻き抱き、セナは自分が全裸だということに気付いた。これでは逃げ出すこともできない。逃げ出す。そう思ってセナは落胆した。逃げる場所など、もうどこにもない。
「怖くて言葉も出ないか」
部屋の中をそっと見回す。暖炉には薪がくべてあり、辺りはとても温かい。蝋燭の灯りがあちらこちらに点り微かな風に揺られている。奥に見える小さな階段はどこまで続いているのか暗くてわからない。天蓋から布が幾重にも垂らされた寝台の横には大きな木のテーブルがあり、食事の用意がされている。床には何の動物の毛だろうか。大きな敷物が置かれている。
「さぁ。なにか食べるとよい。そんなに痩せ細って」
肥えさせて、──食べられる。セナの胃がきゅっと痛みを訴えた。
「……僕を……食べるの……?」
「食べる?」
ルカは冴えた容貌を緩ませて朗らかに笑ってみせた。
「そうだな、食べることは食べるが……。おまえから摂ろうとは思わぬ」
「…………」
まだ小刻みに震えているセナの側に座り、ルカはその銀の髪に指を絡ませた。
「そんなに怖がらずともよい。まずはよくなれ」
冷たい指がそっと頭を撫でてくる。その優しい仕草に思わずセナは泣きそうになる。頭を撫でてもらうなど、初めてのことで、こんなに気持ちがいいこととは知らなかった。その涙にルカは困惑し、今度は頬を撫でてきた。
「食べるとしても痛くはさせぬ。気持ちよくしてやるぞ」
「…………?」
ルカのからかうような声に、セナはくすん、と鼻を鳴らすとあまりの気持ちのよさに目を閉じた。急激に眠気が襲ってくる。荒野にずっと一人でいたのだ。緊張と疲労で身体が衰弱しているのはルカに言われずともわかっていた。
──少しだけ。少しだけ……。
すぅ、と寝息を立てたセナの綺麗な髪をもう一度手に取り、ルカは微笑んだ。そっと口付ける。きらめく銀の色。それは彼の人を思い出させる。
「マリー……」
鳥籠の中にいる瑠璃色の鳥が小さく鳴いた。
「ん」
寝台の上にあぐらを掻いたルカの膝に凭れていたセナは唇に何かを押し付けられた。
「……なに?」
「木の実だ。食べてみろ。うまいぞ」
口に入れられ恐る恐る咀嚼してみるとその甘さにセナは微笑した。
「おいしい……」
ゆるゆると髪を撫でられてセナは居心地が悪い。こんなふうに優しくされるのは初めてで、その相手が魔族の男だというのに気を許してしまいそうになる。長い爪が当たらないように指の腹で頬を撫でられて、セナは身を竦ませた。
「どうした? まだ怖いか」
セナは黙って毛布を引き寄せる。怖いのはその優しさだ。まるで慈しむように見つめられて哀しくなる。こんな思いをするのは初めてだからだ。ルカは髪を掬い口付けながら空いている手でセナの肩を抱く。
「セナ、と言ったな。元気になれ。その美しさは健やかであってこそ」
冷たい手が温かく思えて、セナはきゅっと目を閉じる。そんな言葉、聞いたこともない。セナの銀色の髪と碧い目は村人から忌み嫌われていた。ルカは知らないのだ。自分はこの世に必要のないもの。誰からも必要とされはしない。
涙が一筋流れたのを、ルカは見逃さなかった。
「だいぶ身体はよくなったようだな」
「……ありがとう、ございます」
休養を十分に取れば若い身体はすぐに健康を取り戻した。そうであれば精気を、と言われる前にセナは自身を差し出すことにした。甘やかされて大事にされれば情も湧いてくる。だがルカは首を縦に振らなかった。
「セナ、無理をしなくていい。私は……」
欲しいと言ってほしかった。必要とされたかった。存在意義が欲しいセナは身体を差し出す他、考えられなかった。蝋燭の炎が揺らめく中、セナは思い切って自分からルカの両手を取った。
「……セナ」
手の甲に口付けて見上げるとルカは苦しげな表情をしていた。一心に見つめると突然、抱きすくめられた。
「どうなっても知らぬぞ……!」
ルカの指がセナの髪をすくいそれに口付ける。狂おしく続けられるそれにセナは頬を染めた。忌まわしいと言われた髪をルカは愛おしんでくれる。唇が重なると、ゆっくりと薄い舌が口の中に入り込んでくる。小さな口内を突かれ、セナは目をぎゅっと瞑った。息が出来ず何度も顔を顰める。
「……ひゃ……んっ」
急に舌が移動して胸を彩る赤い突起に巻きついてくる。扱いて、舐めとる。セナは瞼を震わせて喘いだ。
「……んっ……ん」
「気持ちいいのか? 肌がこんなに赤く染まっている」
そのまま足を軽く開かされてセナはごくんと喉を鳴らした。
「あ……っ!」
まだ幼いペニスの先に、淡い蕾の入り口に次々と舌が突き入れられる。その強烈な快感にセナは身体を捩ろうとしたが、腰を固定されていて動くことが出来ない。足を閉じようとするとルカの顔を強く挟んでしまう。恥ずかしくてセナは枕の端を握りしめた。
「さあ、私にセナの精をおくれ」
冷たい口内にペニスを含まれ、セナは喘ぐ。息苦しい。だが許されない。絶頂は早くに訪れた。腰を突き出しながら精を吐き出すとルカが美味しそうにそれを飲み下すのがわかる。
「……ルカ……」
「セナ、もう少し足を開いて」
言われた通り、おずおずと膝を開いた。すると濡れそぼったそこにルカの冷たい分身が入り込んできて、セナは背を反らす。前後に絶妙に動かされるそれにまた快感が襲ってくる。
「……あ、……ああっ……」
「セナはかわいいな……もっといじめたくなる」
「やっ……ルカ……ルカ……!」
セナは懸命にルカの背に両手を回し、ぎゅっとしがみつく。溺れる子供が何かに縋るようなその仕草にルカは微笑み、口付ける。
乳首を長い爪で抓むとセナはあっという間に達した。ルカはセナが嫌がっても強く抱きしめ腰を突き入れ続けた。
好きなだけここにいてよい、と言われ、セナはその言葉に甘んじてしまっている。ルカが人の精気を必要としているのはわかっていることだが、それ以上の気持ちがあるのではないか、などと期待してしまう。ルカは優しい。セナをからかいながらも優しい瞳で見つめてくる。その視線の心地よさにも慣れてしまってきている。いけないことだとわかりながらセナはルカのことを想うようになっていった。
「セナ、出かけてくる」
「いってらっしゃい」
ある日の午後。ルカは用がある、と言って外へ出ていった。食事を摂るようにと言われているがセナはもともと食が細い。なにもすることがなくぼんやりと寝台の上で蹲っていた。
しばらくすると扉の開いた鳥籠から小さな鳥がセナの足元に降り立つと突然虹色のドレスを着た幼女の姿に成り代わった。ルカと同じ紅玉の瞳。尖った耳。青白い炎のような肌を持つ子は自分を「エレナ」と名乗った。
「ダメよ、セナ。あんた全然食べ物に手をつけてない」
セナは驚いて、それから自分がシャツを一枚羽織っただけ、ということを思い出して今更ながら前を閉じた。しかもルカとの閨のことまで知られている。セナは頬を熱くして口ごもった。
「ルカ様に言われているの。いない時はあんたの世話をしろとね」
「……ルカに」
ルカはいつでも心配してくれる。今までそんなことをされたことのないセナの心に暖かな灯が点る。だがしかしそれはすぐに掻き消された。
「あんた、そっくり。ルカ様の愛していたマリー様に。碧い瞳も、銀色の髪も。勘違いしないほうがいいわよ。ルカ様はあんたみたいな人の子、ただ物珍しいのと精気を吸い取るために置いてるだけだもの」
エレナはテーブルの上に置かれた果物に手を伸ばし葡萄を一粒取ると自分の口の中に放り込んだ。
「食べないと私が怒られるのよ。ちゃんと食べてよね」
子供とは思えない口調でそういうとエレナはすぐにまた瑠璃色の鳥の姿になって鳥籠に戻った。じっと見つめていると尾を向けて居眠りし始めた。
──マリー様にそっくり。
セナはシャツの端を両手で握りしめた。結局、自分はここでも利用されているだけ。存在意義など考えるのは虚しいだけ。
勢いよく立ち上がると地上への階段を上り始める。長い長い時間上り詰めるとそこには小さな穴があった。セナがようやく通れるくらい小さなものだ。そこからよじのぼり外へ出るとセナはどこへともなく歩き始めた。
雲行きが怪しくなっている。差していた光が少しずつ消え、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。さあさあと葉に当たる音が聞こえてくる。森の中はどこまでも鬱蒼としていてセナはすぐに自分がどこにいるのかわからなくなった。そのうち激しい雷鳴が轟き、恐怖で蹲った。雨は容赦なくセナの身体に打ち付け、呼吸をするのも苦しいほどだ。
ルカは精気を吸い取るためだけに自分を側に置いていた。わかっていた。わかっていたけれど。
優しく、時におどけるようにセナを見つめてくるあの紅玉の瞳に心が揺れ動いていた。抱かれることは恥ずかしくとも、今はそんなに嫌なことではない。むしろ求めてくれることの意味を誤解してしまうくらいにセナはルカを想っていた。でも、身代わり。ただの物。それがセナはとても哀しかった。この世のどこにも自分を必要としてくれる人がいない。その心もとなさに震えてしまう。ルカが自分のことを好きでいてくれたらいいのに。そうしたらルカと一緒にずっといられるのに。
また激しい雷が鳴り、近くの木に落ちたようだった。鼓膜が激しく震えて一瞬音が聞こえなくなった。セナは両手で耳を塞ぎ、強く目を閉じた。死んでしまいたい。もう、生きている意味がない。その時だった。
「セナ! 大丈夫か!」
ルカの大きな声がした。目を開けると心配そうに屈んで両手を伸ばしてくる。その手を払いのけてセナは叫んだ。
「もうこないで! 目の前から消えてよ!」
「セナ」
「僕なんて……僕なんて!」
「セナ、泣くな」
泣いているのがわかるはずがない。雨でずぶ濡れなのだから。セナは顔を上げて、首を振った。
「……村に送っていく。だからまずは戻ろう。な?」
背に手を回し抱きしめられて、セナは唇を震わせて大声で泣いた。
「少しは温まったか? ん?」
暖炉の前で毛布にくるまれ、セナはこくりと頷いた。隣りにいるルカの顔が見られない。薪がパチパチと音を立てて弾ける様をじっと見つめる。
「雨が止んだら、……村に帰ろう」
セナは力なく首を振った。
「もう、帰れないんだ」
「セナ?」
「僕は生贄だったんだ。雨乞いのための」
「……そうだったのか。けれど、もう雨は降っただろう。帰れるはずだ」
「僕に両親はいない。村の家を転々としている孤児だったんだ」
「セナ……」
膝を抱えてセナは浅く呼吸する。もうどこにも居場所はない。ここも出ていかなくてはならない。あまりにも居心地がよくて勘違いしてしまった。だが、所詮ここでもセナはただの物なのだ。
ルカは兩の手のひらでセナの頬を包み込んだ。
「ならば……ここにいればよいではないか」
簡単に言ってくれる。気持ちも知らないで。セナは唇を噛んだ。
「……マリーさんの……身代わりなんでしょう?」
「セナ?」
「どうせ、精気を吸い取るためだけに置いてるんでしょう!」
ルカは驚いたように目を見開いた。それから鳥籠を一瞥する。エレナはひょい、と首をあちらに向けてしまった。
「……妬いているのか」
「違……」
「それなら」
ルカが覆い被さってくる。セナは後ろに倒れた。両手を絨毯に縫い付けられて、全裸の肌が粟立つ。唇を重ねるとセナはあっという間に身体をほんのりと赤く上気させた。その様を見てルカが忌々しげに舌打ちする。
「……私と契ることができるというのか?」
「……え」
「本当に……私と一生、いや、永遠に一緒にいることができるのか?」
「……ルカ」
セナは不思議そうにルカを見上げる。意味がわかっていないのだな、とルカは苦笑した。
「セナは思ったより私のことが好きだったのだな。だが、それ以上の好きではないのだから」
額を押し付けられて、セナは反射的に両目を閉じた。
「私はおまえと一緒にいたい。だが、そのためにはおまえが永遠の命を持たなければならない。その覚悟はないのだろう?」
ルカが……自分を。
「嘘……だってルカはマリーさんのことを」
「マリーを愛していた。だが、今はここにいるセナを愛おしいと思う」
「ルカ……」
身体を起こして、ルカはセナの髪をひと房持ち上げ、それに口付けた。
「私の伴侶になってくれないか。セナ。私はおまえの騎士となって全力でおまえを守ろう」
セナは青い瞳いっぱいに涙を溜めた。答えはもう決まっている。強く頷くとルカの首筋に両手を伸ばし、引き寄せ固く抱きしめた。
ルカの血を飲むとセナは永遠の命を持つことが出来るという。だがルカは急がない、と言った。
「もしかして、姿が変わってしまう……?」
「そうだ、と言ったら?」
「……だってルカはこのままの姿がいいんでしょう?」
ルカは満面の笑みを浮かべるとセナを抱き寄せ口付けた。
「セナがどんな姿になっても、私は愛してるよ」
そっと頷くとセナはもっと、と口付けをねだった。
どんな姿になってしまうか想像もつかないが、同じ問いをされてもセナも同じように答えるだろう。たとえ天使でも悪魔でも。
「ありのままのルカを愛してるよ」と。
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