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【囚われの瞳】深森きのこ
啼き疲れて、その頬を涙で濡らしたまま腕の中で眠る少年を見下ろし、魔公爵ギーシュは満足げに息を吐いた。
ここのところ、生贄としてささげられたその少年をギーシュが存外に気に入っていると、周囲の者が驚いているようだ。
――いや、すぐに飽きるだろう。飽きれば捨てるまで。
従者の下級悪魔を呼びつけ、傍らにおぞましい動物の顔をかたどった杯を用意させた。深い色の酒を注ぎ、一人、喉を潤す。
「ん……う」
目を覚ましたかと杯を口につけたまま横目で見やるが、そうではないようだ。特に気に入っている青い瞳も、今は閉じられている。もつれた長い銀髪を乱雑に散らし、眉を寄せて苦しそうに嘆息する。ギーシュはおもむろに少年の腕を取った。
「起きろ」
「……え、あ」
うっすらと開いた瞳が揺れてこちらを見やる。
「まだ足りぬというのに、勝手に気を失うな。第一、この俺の前ですやすや眠るとは良い度胸だ」
「……」
睨みつける少年は、ギーシュの股間に目をやり、顔を背けた。その目には恥辱と恐怖の記憶がないまぜになって浮かんでいる。
「安心しろ、もう先ほどまでの渇望は癒えた。それなりにな。次はお前を喜ばせてやろう」
「僕は、そんな」
ごくりと喉を鳴らし、不安げな目で見上げる少年を見ると支配欲が湧き上がる。乱暴にしたい気持ちは悪魔としてごく当然のものだったが、何故か引き裂いてしまおうとは思わなかった。
「お前の良い顔も見たい」
少年を抱きよせ、長い爪を腹に這わせる。
「……っ」
「こそばゆいか」
無言で首を振る少年を見て艶然と笑う。
「それではここは」
爪の先が少年の胸に這い上がり、小さな突起を弾く。優しく可愛がってやろうと思っていても、声を出すまいと耐える少年を見ればどうしても啼かせたくなる。どうしようもない習性だ。だが、それはもう存分に楽しんだ。その手はもういい。さて、どうしてくれようかと思案しながら、突き出たその可愛らしいものを口に含み、舌でねぶった。少年の体が反応して踊るように上下するのが面白い。
「ひっ、ぁ……や、め……あぁっ」
「悪魔にやめてと頼んでやめてもらった例がいくつあるか、お前は知っているのか?」
口を離して指できゅっとひねれば、少年は身をよじる。背けようと捻った体をぐいと戻し、ギーシュはその首筋に強く口づけた。切れぬほどに、だが強く噛めば少年の顔が痛みに歪む。どうしても興奮してしまう己と、傷つけたくないという理解しづらい感情とが相反して共存している。
「……?」
しばらく止まっていた動作を不思議に思ったのか、少年が視線を送ってくる。
――なんだ。
「欲しいのか」
「ちが……っ」
顎を掴んで捕え、唇に舌を這わせる。良い獲物だ。捕まえようとすれば逃げるのに、追う手を止めればこちらを振り返る。
――たまらんな。
唇を押し開け、舌をねじ込む。両手を背中から回して、女ほどには膨らみのない二つの山に分け入った。
「んはっ……ん、うぅっ!」
僅かに出来た隙間から鋭く息を吸い、押しつけられた指先がぐっと深く潜りこむのにまた息を呑む。
「痛くないようにするというのは難しいものだなあ。どうだ、感じるか」
わざとのんびりそう言い、ギーシュは再度口づけ直した。長い舌で口の中をかき回していると、背中に爪が立てられるのを感じた。
――なかなかいいものだ。
己の欲望を満たすことに集中しているときには気づきもしないような小さな痛みに、ギーシュは満足していた。
少年が徐々に高まってきている。それを見てとったギーシュは、己のものを少年の背後に軽く当てがった。少年の体に対し、大きすぎるものだ。少年の顔がさっと青ざめる。
「なるほど」
その声が今までになく穏やかなもので、ギーシュは内心首をひねった。
――なんだ? これは。
ついさっきまで、これを無理に入れて散々啼かせたではないか。こいつは生贄だ。捧げられた供物なのだ。好きにすればいい。欲望の赴くままに犯せばいい。そう思うのだが、先ほどは目にも入らなかった少年の表情が、今はやけに気になる。
ごくゆっくりと腰を押し進める。だが少年は顔を歪め、歯を食いしばった。
「口を開けろ。息を吐け。力を抜くのだ」
少年の口を指で開かせると、激しい呼吸が漏れた。
「それでいい。ゆっくり息を吐く……そうだ」
「あ、はぁっ……くっ……」
「いいぞ」
いつしか少年の頬が快楽を感じて赤らみ、その目が艶やかさを帯びてきている。ギーシュは口元に笑みを浮かべ、ついその悦楽を恐怖にしてしまいたくなる己を必死で抑えた。
「どうせ私から逃げられはしないのだ。楽しむがいい」
顔が見たいと思い、ぐるりと体勢を変え、抱き上げる。背中をのけぞらせてうめいた少年の後頭部を手で支え、こちらを向かせる。ギーシュはそこに浮かぶ表情を見て目を見張った。
痛めつけまいと、今度こそ快感を与えてやろうと、していたはずだった。なのに。そこにあったのは快楽ではなく、もちろん恐怖でもなかった。少年は涙を浮かべ、同時に薄く笑っていた。ギーシュには理解の出来ない感情を滲ませている。
「生贄なんて……いくらでも、いる。そう……でしょう? ぼ、く……っ……僕、が、壊れたら……捨てて、次の、を可愛がる、の……?」
ギーシュの眉根が寄る。
「そうだ。お前に飽きれば捨てる」
「そう、だね……あな、たは、悪魔だも、の、ね……んくぅぅっ!」
腰を突き上げると、少年の体が跳ねた。それをねじ伏せ、細い両腕ごと抱え込むようにして腰を何度も打ちつける。言葉にならない叫びが少年の中からほとばしり出て、涙が散った。
「……名前があるのか」
ややあって、ギーシュはそう尋ねた。生贄に名を尋ねるなど馬鹿げていると、自分で自分に呆れる。
「ロラン」
切れ切れの息の下から、少年が囁く。ギーシュはその名を口の中で繰り返した。
「ねえ……僕以外にもたくさんいるでしょう。あなたは選びたい放題だ」
汗と涙とで張りついた長い銀髪をはがそうと、もつれ髪に指を差し入れながら、ロランはけだるげに問うた。
「でも、あなたは僕を選んだ。昨日も、今日も」
「明日はないかもな」
「僕を捨てるの?」
見上げる瞳が、ギーシュの中の何かを握りしめる。ギーシュは片眉を上げ、杯に少し残っていた酒を飲み干した。
「俺の自由だ」
「明日は……明日も……僕を選ぶ?」
選んでほしい、と言わんばかりにロランはギーシュに縋りついた。まるで哀願するように。あれほど痛めつけ、啼かせたのに。優しく、気持ち良くさせてやろうとしても、結局は涙でその頬を濡らしたのに。
何故。
何かが強く軋む。
ロランの背を長い爪でなぞった。触れるか触れないかぎりぎりで。くすぐったいのか、ロランが耐えきれずに笑う。その顔を見て、ギーシュは己の敗北を悟った。
――この俺としたことが。
そう。明日も、こいつを選ぶだろう。この関係を続けるなら、壊れぬよう、大切にせねばならない。悪魔である自分にそんなことが出来るだろうか。それはギーシュ自身にも分からなかった。
「ロラン」
自分の名を呼んだギーシュの頬に、ロランはそっと触れた。何も言わななかった。ロランとても、自分の感情がなんなのか、言葉で表現はできなかった。悪魔と生贄である二人は、そのまま長い間、見つめ合っていた。二人の瞳に、互いの姿が映しだされ、焼きつくようだった。
やがて、ギーシュの首に腕を巻きつけたロランが言った。
「僕は、帰る場所なんてない。ここに……お傍に、置いてください」
「……ロラン」
「あなたが飽きるまで。それまでずっと」
「俺は愛などというものは知らん。愛することも出来ん。それでも」
うなずくロランに、ギーシュは自分が生きてきた中で覚えている限り初めての感情を抱いた。そして、出来うる限りの優しさを込めて、ロランの唇に自分の唇をそっと重ねたのだった。
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