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【切り取られた世界】弓葉

 知らない男が海に現れた。その人は黒髪で灰色の目をしている、僕と正反対の存在。煙草を蒸かし、もわ~っと立ち上るように口から排出された煙は透明度が低く白い。  見慣れない顔……旅人だろうか?  彼は僕の姿を認識するなり浜辺に合わない革靴を踏みしめながら、こちらに来た。靴の中に砂が入ったのだろう、靴を脱ごうとしたので忠告する。 「月の美しい夜は漁に出てはいけない。もし出るなら陸との繋がりを持っていけ」  言い伝えを知らないでここに来るのは無防備すぎる。だから教えてやったのに、彼はいとも簡単に靴と靴下まで脱いでしまった。そして冗談を聞いたように笑って返される。 「漁には出ないから大丈夫、君はどうしてここにいるの?」 「月が綺麗だから」 「僕も一緒さ、隣いいかい?」 「……勝手にしろ」 「すごいね」 「何が?」 「昼間と違ってここは異界みたいだ。月明かりがあるのに暗い、独りでいると引き込まれそうになる」  彼は浜辺に座り込んだ。トン、トンと砂浜を叩き「座りなよ」と呟くように言う。別に立っている理由も無いので大人しく彼の隣に座った。彼は、僕が隣に座るなり小さく息を吐いて前を見据えた。話すつもりはないのかと安心して僕も暗い海へ視線を移す。打ち寄せる波音を聞きながらぼんやり眺めていると視線を感じ、視線を感じる方向へ振り返れば目が合った。目を見ただけで分かる、彼は僕に惚れている。 「ごめん、見過ぎたね。俺はノア。君は?」 「ルーシェン」 「ルーシェン、君に大事なものはあるかい?」 「大事なもの……」  大事なものと聞いて必死に頭を働かせるが、これといったものが思い浮かばない。まるで白いモヤがかかっているみたいだった。「ルーシェンもか」悲しい顔に笑いを浮かべ、また黒い海へと視線を戻してしまう。 「ここに、大事なものを探しに来たんだけど……あの綺麗な月を見ていたら何を探していたのか忘れちゃったんだ。おかしいだろ?」 「おかしくない」 「え?」 「僕も何かを探してたから」 「そうなのかい?偶然だね!」  仲間を見つけたように嬉しそうな顔で僕の手を握ってきた。その手は僕の手と違って温かく大きい。そして意識をすればするほど触れている手が震え出し、そこから血が沸き立っていく。 「離せ!!」  これ以上、ノアに触れていると僕じゃ無くなってしまいそうな気がして振り払い、バシャバシャと大きく水飛沫を上げながら海の中に逃げた。海の中に入ると足を包み込むように青白く光り輝き、さらに海底の振動を感じたのか浅瀬が蛍の光のように煌めいた。 「すごい……夜光虫か……」  ノアは着ていたスラックスを膝まで捲し上げ上着のコートを脱ぎ捨てた。そして、僕を追いかけて海の中に入ってくる。ノアが1歩を踏み出す度に海が光り照らした。 「うわぁ……」  ノアは面白がってバシャバシャと水面を蹴り上げ光の飛沫が空に舞い上がる。その光景は月の光と重なり幻想的な景色へと変わった。ノアはその光に夢中になり、僕を一切見なくなる。着ていたシャツが海水を吸い体に引っ付くのが嫌になったのか、ボタンに手をかけ始め浜辺に戻ることなく海に脱ぎ捨てた。海面に落ちた白いシャツに反応して夜光虫が光り輝く。  僕は、ノアが脱ぎ捨てたシャツを拾い上げて波がさらわない浜辺へ置きに行くことにした。海水を含んだシャツは重たく腕にのしかかってきたので軽く絞りながら浅瀬に辿り着く。バシャバシャと浅瀬に戻ってくる音がし、振り返ればノアは下着を脱ごうとしていた。 「ノア!それ以上服を脱いじゃいけない!!」  すぐに駆け寄りノアの元へと急ぐ。だが時すでに遅くノアは全裸になってしまっていた。目のやり場に困って、とりあえず手で目を覆い隠しながら近づくが、ノアはまるで催眠術にかかったように僕の存在を無視し暗い海へ歩き出す。このままだと危ない!砂底に足を突き刺しノアに抱き付くと逞しくて大人の体つきだった。僕の体と違って筋肉質でがっしりとしている。引きずられそうになりながらも決して離さなかった。 「ノア、一旦浜辺に戻ろう?」 「嫌だ、全身をこの光で包みたい」 「それはダメ、戻れなくなる」 「大丈夫、少しだけだから……」  その間にもノアは強引に足を進めて海を目指す。砂の中に埋まった足は杭にもならないで、すぐに抜けてしまった。ノアは抱き付いている僕を気にすることなく進んでいく。いつの間にか、海水が浸かっていた膝丈から腰まで来てついには顔目前まで迫っていた。 「の、あっぷ……ん、あ」  ノアの名前を呼びたいのに海水が口に入って喋ることすらできない。トプン、と音がした後、何も聞こえなくなり目の前が真っ暗になったと気づいた時には、海の中だった。夜光虫の光はノアを呼ぶように僕達の周りでは光らず、海底の奥底で仄かに光っている。  泳ぎ沈もうとしていたノアを必死に食い止めたかったけど息が持たなかった。自然とノアの体から手が離れ浮かびあがる。「ぷはっ……!ごほっ……がはっ!!」海水を飲みながらも必死に酸素を取り込んだ。空気を口の中いっぱいにためて、もう一度海底に潜る。さっきまで、あんなに輝いていた夜光虫の光は姿を消してしまい、何も見えない。  さらに奥底へと潜るために少しずつ空気を口から吐き出し、手探りでノアの姿を探した。最後に見た仄かな夜光虫の光を見落とさないように暗闇と向き合う。 「!!」  海藻のような手に絡みつく何かが手に触れた。細い感触から察するに、ノアの髪の毛だ。手探りで首を探し顔を僕の方へ向ける。直ぐさま手でノアの顔を探り唇をこじ開け、溜めていた空気を注ぎ込んだ。すると、さっきまで大人しかった夜光虫が輝きだし僕達を照らし始める。少し不安定な光だったけど僕には十分だった。  ノアの目に光りが戻ったのを確認し、僕は安心して気を失う。 ***  ルーシェンが僕に笑いかけたと思ったら、浮いた。何で浮いたのだろう?と考えるよりも早く息が苦しくなり、ただちにルーシェンを抱えて海上を目指した。 「ゴホッツ……!!ガハッツ!」  ルーシェンを抱えながら泳いでも不思議と軽く泳ぎやすかった。夜光虫の光が誰もいないのに浜辺への道を照らしてくれたお陰ですぐに地上に辿り着く。ルーシェンの体を砂浜に寝かせて人工呼吸をした。 「コホッ……!」  海水を吐き出したルーシェンは意識を取り戻し「よかった」と俺の顔を見て言う。まだ息が整っていないのに起き上がろうとするので体を支えた。すると、ルーシェンは震える指先である場所を示す。 「ノア、あれはなんだろう?」  ルーシェンが指さした場所は、俺達から少し離れたところ。波打ち際で蛍が群がるように光りが密集していた。気になったがルーシェンを置いてもいけない。どうしようかと悩んでいたら背中を押される。 「気になるから、見てきてよ」  ルーシェンに後押しされて光の根源に恐る恐る近づいた。右手で光の中心へ手を入れ海水と砂を一緒に掴めば、金属みたいなものを感じた。手のひらを広げ海水を落とし、指で砂を払えば俺が探していたものが見つかる。 「結婚指輪……」  捜し物が見つかったと早く誰かに言いたくて顔を上げた途端、砂浜で寝ていたはずのルーシェンが俺の手を覗き込んでいた。 「捜し物は見つかった?」 「あぁ、ルーシェンありがとう。俺が探していたのはこれだよ!!」  親指と人差し指で摘まんで見せるとルーシェンは指輪を奪い取った。まさか取られると思ってもいなくて動揺する。「盗らないよ、ほら左手を出して」内心を見透かしたように言われてドキドキしながら左手を差し出した。ルーシェンの細い指先が薬指を手に取り指輪を通す。 「もう、無くすなよ」  お礼を言おうと再び顔を上げた時――ルーシェンの姿は無かった。 [感想はこちらまで→弓葉(@yumiha_)]

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