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【reincarnation】 せい

■1 「コンビニも飽きますよね」 「仕方ないさ。弁当を作る気はないし」 「サラメシで500円もらって弁当作るリーマンでてきましたよね。先輩どうです?」 「何がどうです?だよ。お前が作れよ。500円で手を打ってやるから」  コンビニの茶色いビニールをブラブラさせて谷村と俺は会社へ戻る足を速めた。1分でも長く昼休みを確保したい。 「キャア!!!!」  耳をつんざくような女性の悲鳴が背後で上がる。 「うわあああ!!!」  叫び声に振り返ると、車のボンネットの上で跳ねる谷村の姿が目に入った。 「えっ?」  思考と身体が麻痺して動かず文字通り固まった。目の前には車。運転席には項垂れるドライバーの姿。次の瞬間強い衝撃と共に身体が宙に浮いた。空が見える……青く晴れ渡った空は一瞬で消え全てが闇に飲まれた。 ■2  青い月と青い海。月がでているから夜のはずなのに不思議な明るさだった。すべてが透明、そして青いグラデーションで染められたような景色。ここはどこだ?  サラサラとした銀色の砂をすくってみる。見覚えのない黒い服に砂が零れ落ちた。左右と後ろには砂浜が広がり地平線まで続いている。前に見えるのは海と空。水平線が月の光を受け細い白銀の筋を真横に走らせている。波が打ち寄せているのに波音が聞こえない。騒々しく鳴くカモメや海鳥の姿はなかった。 「ここはどこだ?」  自分の声が聞こえることに少しだけ不安が消えた。記憶を手繰ってもこの場所に見覚えはない。日本なのか海外なのかも定かではない。何もかもがわからないことばかり。  黒いトレンチコート、黒いシャツに黒いネクタイ。海に来るには一番ふさわしくない今の服装にも困惑した。クローゼットにこんな服はぶら下がっていないし買った覚えもない。 「おーーーーい!」  叫んでも何も変わらなかった。砂浜を歩き続けたら何処かに辿り着けるだろうか。じっとしていたら不安に押しつぶされるような気がして歩き出す。コートの右ポケットを探ると見たこともないパッケージの煙草がひと箱。クロームのライターが左のポケットに入っていた。落ち着くために火を点け深く吸い込んでみたが、重いのか軽いのかよくわからない味だ。 「空……空を見た」  煙を吐き出すと同時にふわりと映像が甦る。空を見上げた?いや違う、身体が跳ね飛ばされて空が見えた。 「谷村!谷村?」  ボンネットに跳ねた身体と宙を舞う茶色のビニール袋。そうだ、車だ!社に戻る途中に車が突っ込んできた。そして俺は……俺は項垂れたドライバーを見たんだ。それで?それで……空が見えた。  強い衝撃を感じた胸と腹を触ったが痛みはない。顔を触ってみたが怪我はしていないようだ。血も出ていない。思い出せ、思い出せ……ここはどこだ?冷静になれ。これはきっと夢だ。病院に運ばれて俺は夢を見ている。早く目を覚まさないと! 「残念ながら夢じゃないよ」  後ろから聞こえた声に飛びあがる程驚いた。『キャア!!!』という女の悲鳴が甦り項がゾワリと震える。おそるおそる振り返ると、そこには少年が一人立っていた。広大な砂浜に人影はなかったというのに、いつの間にこんな近くに?  抜けるような白い肌。長い睫毛で縁取られた大きな瞳は不思議な色味を帯びていた。視線を外すことのできない何かが少年にはあった。恐怖と隣り合わせである何か。本当は知らないほうがいい何か。 「あなたはもう……わかりますね」  ゆっくり動く唇。紅をさしたように赤く染まる唇はふっくらと柔らかそうだ。喉の渇きに似た感覚がジワジワと身体に広がっていく。射抜くように強いのに霞がかった視線。その視線を捉えようと見つめていると、互いの視線が絡まるのが見えるようだ。 「ここは旅立ちの前に己を削ぎ落す場所です」 「旅立ち?」 「はい。未練も心も過去も未来も。すべて」 「嫌だ!帰る!」  少年は悲しげな表情を浮かべ一歩踏み出した。たった一歩なのに息苦しさを感じる。深く息を吸い込むはずが浅い呼吸しかできない。まるで陸で溺れる魚のように。 「煙草を一本吸うと思い出します。そして忘れる。月を眺めて景色に漂う」 「そんなこと……」 「できますよ。あなたが月の光に導かれるまで一緒にいます」  一緒にいるという言葉が頭の中で木霊した。一緒に……俺と一緒に?思わず伸ばした手はそっと握られ互いの距離がまた縮まった。  濡れて光る瞳に魅入られ、薄く開かれた唇の奥に見える赤い舌先に誘われる。いったい俺はどうしてしまった?少年は蕩けるように甘いが毒を孕んでいる。俺が俺でなくなるための媚薬。少年こそが月で、俺を導こうとしているのではないのか。違う世界に旅立たせるために。  繋がった手が持ち上げられる。少年の紅い唇が手の甲に落とされた。熱が生まれ背中を這い上がる。ヌルリと光る舌先が親指に触れたあと絡みつき熱い咥内に導かれた。痛いほどの視線を受け止めると呼吸はさらに浅くピッチをあげる。 「一緒に忘れましょう」  ざらついた感触が親指から全身に広がる。それ以上考えることをやめた。疑問も不安もどうでもいい。この熱と潤みだけでいい……それだけが欲しい。 ■3 「あ……背中が」  少年に引き出される自分の反応に羞恥心が沸き起こるが止めてほしくなった。もっと続けてほしい、自分の知らない自分が欲しい。  ねっとりとした口淫が中断され、猛った先から引いた糸が彼の唇と繋がっている。その様子にコプリと漏れだす欲を止める術はない。 「砂が痛いの?」 「……少し」  少年が微笑むと身体の下に波が入り込み宙に浮いたように体が軽くなる。ジェルのような質感に身体が覆われ官能の源からジクジクと何かが溢れ胸が苦しくなった。少年は波をすくい勃ちあがった欲望にタラタラと零す。 「う……あっ」  波なのか自分がこぼしたものがわからない液体に包まれ息が上がる。波はヒタヒタと後孔に打ち寄せ指の侵入を助けた。 「な、なにを」 「なにを?ひとつになるため。一緒にいるため。力を抜いて」  身体を這いまわる熱い手のひら。あちこちに快感の尖りを残す指先。経験したことのない刺激と熱に我を忘れ少年に下肢を絡める。もっと続けてほしいと浅ましく懇願しながら。 「あなたは思った以上だ。ようやく巡り合った」 「思った……いじょう?っあ、あああ!!」  前触れもなく固い楔が打ち込まれのけぞる。痛みを凌駕するこの衝動はなんだ?これは何だ? 「ああ……だめだ……だめになる」 「身を任せて。流れにのって……僕に委ねて」  耳元で囁かれる言葉により理性と抵抗は消えていく。このまま……ああ、このままずっと感じていたい。体の奥底で蠢く揺れを取り込みたい。毒でも何でもいい……これが欲しい! 「欲しい!君が欲しい!」  近づいて来る紅い唇がどんどん大きくなる。視界全てが彼の唇で一杯になり、潤んだ舌先が眼球の上をヌルリと滑った。 「あああ!!!」  グブリと深く踏み込まれ体内で奔流があふれ出す。欲望が迸ったとき、望んだものが奥に注がれた。毒でもいい……これほど甘いなら……蕩け……そうだ。  視界から紅色が遠ざかっていく。熱に浮かされた瞳とともに微笑む彼は背後に月を背負っていた。さっきよりも大きくなった青い月。  やはり君が月なんだね……君にならすべてを託せる。一緒にいられるのなら、消えてしまってもいい……消えてしまっても。駄目だ、これ以上目を開けていられない。 『おやすみ』  それは君の声? ■4  目覚めると彼はいなかった。怠く緩み切った身体をゆっくりと持ち上げる。傍に丸まっている衣類の上には煙草とライターがのっていた。腕をのばし手に取り火を点け深く肺に煙を入れて吐き出す。  空に浮かぶ月は大きく満ち深い藍色を纏っている。吐き出す煙とともに浮かんだ映像は、此処とは違うかつてあった自分の生活のものだった。だが帰りたいという思いがわいてこないのは何故だろう。 「思い出して忘れるのです」  一人だったはずなのに、彼は隣に座っていた。全裸の自分とは違いセーラー服を身に着けている。あの出来事は夢だったのだろうか。 「体を重ねるごとに、煙草を吸うたびに、あなたの過去は薄れていきます」 「そうか、それで帰りたいと思わなくなったのか」  彼は薄く微笑んだあと頬に唇を落とした。 「帰りたくないの?」 「ああ、君といるほうがいい」 「ふふふ」  柔らかい唇に親指の腹を当てる。うっすら開かれた唇から舌先がでてきて親指に触れた。それだけで中心に熱が集まるのがわかる。 「もっと忘れて。僕と一緒にいて」 「ああ、君といる」  抱きしめられて、考えることをやめた。帰りたいはずの場所の記憶がまた一つ消えていくのだろう。でもかまわない。君と一緒にいるために全てを忘れてしまおう。 ■5  月の光を浴びながら煙草を燻らせる。煙は短く漂い青い世界に消えていった。ここに来て何日たったのかわからない。空にはいつも月が浮いていて、明るくも暗くもならないから。  目覚め、抱かれ、微睡み目を覚ます。煙草を吸い彼がくるのを待つ。今吸っている煙草は5本目だ。  浮き上がって来たのは病院の映像。ドアには『ICU』のプレートがはめ込まれている。ベッドに横たわっているのは自分。包帯やギブスに覆われ、複数の管が腕に刺さり、酸素マスクで顔の大部分は見えなかった。バイタルを表示するモニターから「ピ、ピ、ピ」と電子音が小さく鳴り続けている。ベッドヘッドには「奥村進」の名前がホルダーに記されていた。  医者と看護師が話しているのが聞こえる。『奥村さんのバイタルが戻らないな』『はい、日に日に弱くなっています』『ご両親に伝えなくては』  どうやら俺は死にかけているらしい。帰りたいという気持ちが消えていくたびに魂は力を失っていくのだろう。奥村という名前であることも忘れていた。 「帰りたい?」  いつの間にか隣に座る彼にも驚かなくなった。 「いいや。あそこに戻っても体は自由に動かないだろうし元通りになるとは思えない。あれはもう俺の身体ではないよ。君が抱いてくれる……これが俺の身体だ」 「そう」  彼に手をとられ、しっかりと握り返す。そうだ、この身体こそが自分のものだ。 「あなたの名前は?」 「名前?」 「今、思い出したでしょ?」 「……名前」  煙草の煙とともにあったはずの映像は遠ざかり消えてしまった。そこに映っていたものが何であったのか、僅かの時間しかたっていないのにスッポリ抜け落ちている。 「わからない」 「思い出せない?」 「ああ、すっかり消えてしまった」 「じゃあ、あなたに名前をあげます」 「名前?」 「あなたはノワ」 「ノ……ワ。じゃあ教えて、君は?」 「僕はルーシェン」 「ルーシェン。綺麗な響きだ。ルーシェン?」 「なに?」 「俺はもう煙草を吸わない。帰りたい場所はもうないし、思い出すことを止めるよ。俺は此処でルーシェンといたい。過去はいらない……君との未来のほうが欲しい」 「ノワは僕にとって特別だよ。ようやく巡り合えたから僕も一緒にいたい。でもね、一緒にいるためにあなたは一度旅立たなくてはいけない」 「君と別れるなんて嫌だ!」 「少しの間だけだよ。あなたは此処を旅立ち僕と再会する準備をする。僕を強く求めればきっと会える。約束だよノワ、僕を強く求めて」 「約束する」  ルーシェンの頬を抱き寄せ唇を重ねた。君のためなら何でもできる。強く求めるなんて簡単だよ。ほら、もうこんなになっている。 「ノワ」 「ルーシェン」  二人の身体が絡まり、互いの熱と情を深めて頂点を迎えた時、月は空を消してしまうほどに大きくなり白く輝いた。青い光が降り注ぎ強い力で空に引き上げられる。抱きしめ合っていた腕は離れどんどん遠くなる。遠くなるけれど、少しの間だけだ。 「ルーシェン!!!!」  声になっているかどうかわからないまま、名前を何度も叫び続けた。約束のかわりに。君に届くことを願って。 ■epilogue  ふわりと香るのはクルミ。唇のあと額に優しく落とされる口づけが目覚めの合図。 「おはよう」 「おはよう。もうクルミをつまみ食いしたの?」 「ああ、コーヒーを淹れるついでにね」  悪戯っぽく微笑むあなたに笑顔を返す。穏やかに流れる僕達の生活は今日で5年を迎える。ずっと待ち続けた時間がようやくゴールを迎える記念すべき日。  ダイニングテーブルに座りコーヒーマグを手にする姿を見ながらベッドから這い出す。横に座らずテーブルに腰を預けると「行儀が悪いな」と下手くそなしかめっ面。椅子ではなく膝にまたがり肩口に額を寄せた。 「どうしたのかな?随分今朝は甘えん坊だな」 「今日が何の日かわかる?」 「今日は俺達の5年記念日だよ。夜は食事に行こう、お祝いだ」  それだけ?僕は先を待った。待ち望んだ言葉を。5年……いやもっと長い時間待っている言葉を。 「オシャレをしてデートしよう。楽しみだな」  ……それだけ?その先は? 「無口だね。豪華なディナーより欲しい物があったのかな?」  顎を持ち上げられ僕の視線はピタリとあなたの目に留まる。ねえ、それだけ? 「サプライズな演出が必要だったかな?」 「思い出さないの?」 「何を?」 「今日で5年だよ」 「……だからデートをしようって誘っているんだけど?」 「あなたのラッキーナンバーは5。数字は何でも5。パスワードもゲン担ぎも何もかも「5」 5本でやめた煙草のことを思い出さないのは何故?」 「え?俺が煙草を吸わないのは知っているだろ……さっきから何を言っているのか……」 「クルミが好物だよね。必ず海の傍に住むのは何故?月夜に情熱的になる意味を自覚している?」 「ええと……だからいったい」 「ノワ」 「……ノワ?」  全然思い出さないのは何故?強く求めるという約束はどうしたの? 「子供だったり女の人だったり、探し出す頃には年老いていたり。さんざん僕を振り回してきたよね。でも今度は違った。初めて会った時と同じ年齢、日本人、そして黒髪。黒い服が好きでクルミが好物。好きな数字は5。今度こそだって、ようやく時がきたと期待した。5年を迎えたら、きっとノワは思い出す。そう信じてきたのに、なんで思い出さないんだ!!!」  ノワの膝からおり、テーブルの上のマグカップを手で払った。砕けたマグカップとコーヒーがテーブルに散り、ガラスボウルの胡桃に色をつける。 「あなたが僕との未来を望んだから、僕は地に堕ちることを選んだ。あなたに会うために、一緒にすごすために!それなのにどうして?僕を強く求めると言ったのは嘘だったの?どうなんだ!」 「ちょっとまて。さっきから何を言っている?全然わからないよ。落ち着こう、シン」 「シン?進はあなたの名前だった。かつてあなたは奥村進だった。思い出す手助けに僕はそう名乗っただけだ!!僕はルーシェンだ!『ルーシェン』だ!」 「シン、落ち着けって!」  ノワの胸に手のひらを当てるとコットンのシャツがみるみる溶けて彼の皮膚がむき出しになる。さらに強く押し出すと手のひらは皮膚の下に潜り込んだ。 「なに!ちょっとおい!痛い!」  左手でノワの顎をわしづかみにして瞳を覗き込む。そこには疑問と不安と恐怖しか見えない。青い月のもとで僕を熱く見つめ蕩ける想いで一杯だった瞳はそこになかった。 「ノワ。たのむから思い出して」 「シン……くる……し……」 「思い出さないと心臓を潰してしまうよ。ほらノワ。僕はルーシェンだよ」   「くる……しぃ……シ……ン」  驚愕に見開かれた眼。もう隠す必要がないから僕の背中には青い羽根が広がっている。ノワとルーシェンだったころの僕の姿と同じ。この瞳の色を覚えているでしょ?あなたは僕のこの紅い唇が好きだったよね。  知っているよね、何度もあなたの中を探った僕のことを。ルーシェンと甘く何度も名前を呼んだことを思い出して。 「ルーシェンだよ。呼んでよ、僕を呼んで」 「シ……ン」  渾身の力でノワの鼓動を握りつぶした。 「がはっ……」  今度は……今度こそはあなたとの未来を手にできると信じていたのに。だからゆっくり「5」がつく今日を持ち続けたというのに。  力を失ったノワの躯が椅子からずり落ちていく――ノワの器だった男の死体。 「また最初からやり直し。生まれ変わったノワを見つけるよ。僕を思い出すまで何度でも」  僕はこれからもノワを探し、思い出すことを望む。思い出さなかったら?命を奪い青い月の元に送るだけだ。ノワとルーシェンになれるまで……ずっと、ずっと何回も、何回でも。  何百年も何千年を経ても地に堕ちた天使に限りはない……永遠が続くだけ。ずっと続く……だけ。 「ノワ。僕は君を諦めないよ。永遠に」 Fin 【感想はコチラまで→】@sei___arisue

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