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【いつか見た光のなかの……】ゆまは なお

ノワは砂浜を歩きながら、波の音を聞いていた。 裸足で歩くと砂の感触が懐かしさを呼び覚ます。 子供のころにはこうして毎日砂浜で遊んでいたはずなのに、いつの間に海から遠ざかっていたんだろう…? いや、違うな…。ノアが育ったのは山の中だ。 海から遠い山里で育ったのに、毎日遊んでいたなんて…。 酔うと記憶がおかしくなるらしい。 それほど飲んだつもりはなかったのに、今日のワインはやけに回った。 きっと満月のせいだ。 月には魔力が宿っていて、満月の夜には常ならざる事が起きると言う。 波立つ水面に目をやれば、月光を反射して暗い青と波の白がゆらゆら揺れていた。 気持ちよく酔った頭はぼんやりして、風に吹かれて空も飛べそうな気がする。 立ち止まって海に向かうと、目の前にまあるい月がぽっかり浮かんでいた。 波打ち際に立って満月を眺めながら、足の裏の砂がさらわれていく感覚を味わった。 すこしずつ砂が波にさらわれて、足元から海に引きこまれていくような錯覚を起こしそうになる。このまま海に沈んだら、どんな感じなんだろう? あの子はどんなふうに感じただろう? あの海はいつも温かかったから、こんなに冷たくはなかったはず…。 ……あの子ってだれだ? それに光あふれるコバルトブルーの海……? 「何してるの?」 振り向いたら、少年が一人立っていた。 ひどく整った顔立ちの少年だった。 白い肌に赤いさくらんぼのような唇。 短い髪は月光を反射して濃紺に見える。 「何してるの?」 もう一度訊かれて、ノアは首を傾げた。 何をしに来たんだったっけ? 「……わからない」 「わからない?」 「何か……、何かを探しに来た気がするんだが…、何だったんだろう?」 何を探していたか思い出せないが、とても大事なものだったことは覚えている。 とても、とても大切だったもの。 「忘れちゃったの?」 「うん、そうみたいだ」 「そう。よかった、自殺じゃなくて」 「自殺?」 少年に言われて、確かにそうかもと思う。 夜の浜辺に一人で立っていたら、自殺志願と思われても無理はない。 「いや、違うよ。ただ月を見てただけ」 「うん。それならいいの」 「君は何をしてるんだ?」 「僕? 僕は満月に呼ばれたの」 微笑んだ顔は寂しそうだった。 何故だろう、心許なくてすうすうする感じ。 どこか懐かしいような気がして、ノアは少年をじっと見つめた。 少年もノアを見つめ返す。 「君はだれ?」 「僕はルーシェン」 ふしぎな音の名前だった。 外国人かもしれない。 少年の顔立ちは東洋風のエキゾチックな雰囲気だった。 それなのに、その名にはとても、とても懐かしい響きがある。 いつかどこかで聞いたような…。 夢の中? 小さなころの思い出の物語? 「ルーシェン?」 「そう」 「ルーシェンはどこから来たんだ?」 「…すこし遠いところから」 やはり外国人らしい。 一緒に砂浜を歩きながらたわいもない話をした。 「ノアは山育ちなの?」 「そう。木登りが得意で、よくライラの実を取りに登ったな」 雲がかかって月が陰り、辺りが暗くなった時。 その瞬間にルーシェンの姿が消えて、ノアははっと瞬きした。 その瞬きの、ほんの短い一瞬に、遠い遠い過去が視えた。 遥かな昔の、違う時代の違う国。 温かい海辺の国でルーシェンとノアは恋人だった。 誰にも内緒の、秘密の恋人同士だった。 添い遂げられなかった、大切な人。 敵国から忠誠の証の人質として送られてきた、小さな小さな王子様。 幼くて無邪気な王子をみんなが愛して可愛がった。 けれども幼い王子を送りこんだ敵国は数年後、王子を見殺しにしてノアの国に侵攻してきた。 誰かに殺されるよりは、ノアの手の中で逝きたい。 少年になっていた王子はそう望み、ノアはその望みを叶えた。 「海はどこにでも繋がっているでしょう? きっとまた会えるね」 ルーシェンが囁いた最期の言葉。 毒入りの酒を飲んだルーシェンは眠っているかのようだった。 誰の手にも触れさせないようノアはこっそり船を出し、恋人の亡骸を海に葬った。 「ね、また会えたでしょう?」 そう聞こえたと同時に目の前に月の光が戻ってきた。 満月が雲の切れ間から姿を見せる。 これは月の魔力が見せた一夜限りの夢。 月夜の晩に海辺に来るのは、伝説があるからだ。 満月の夜は月の魔力でこの世ならざる者が海からやってくると言う。 「ルーシェン?」 「そうだよ」 「俺を迎えに来てくれたのか?」 「それはできないの。僕はノアに会いに来ただけ」 切なく微笑んで、ルーシェンはノアにそっと口づけた。 同時にぱあっと強い光があふれて、ノアは目を開けていられなくなった。 夜明け前の海辺で、ノアは目を覚ました。 穏やかな波の音が聞こえる。 もうすぐ朝日が昇る時間。 どうしてこんなところにいるんだろう? ゆっくり身を起こして周囲を見回した。 白い砂浜が美しい海岸だった。 二日酔いなのか微かに痛む頭を振って、昨日のことを思い出そうとするけれど、あまりうまくいかなかった。 きっと酔ってドライブした挙句、適当に走ってまた海まで来てしまったんだろう。 山育ちのノアは海なんてろくに見たこともないのに、酔うとなぜか海が恋しい気になって、車を飛ばして海岸に来てしまうのだ。 まるで何かを探しているみたいに。 見えない誰かに呼ばれるみたいに。 昨夜、誰かと会話した気がするけれど、思い出せない。 なんだろう、とても懐かしいようなやさしい気持ちが残っているのに。 立ち上って砂を払っていると、今日最初の日の光がノアに届いた。 明るい光のなかに誰かの面影を見た気がして、ノアはしばらくの間、朝日を浴びて海に向かって佇んでいた。 完

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