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第12話
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建物の奥にある地学準備室の前の廊下は、突き当たりの地学教室の授業を受ける生徒以外通ることはない。
でも、準備室の窓からは理科棟への渡り廊下が見えた。
あの日以来、野尻はずっと類の事が気になっていた。
知り合いの伝手 を頼って聞きまわったところ、マッチングアプリを使ってカラオケに行った高校生が酒を飲まされて連れ出され、複数の男と共にマンションにいたのを警察が発見した事件があったという。
被害者は地方独特の聞いたことのない苗字だったし、そもそもその被害者が類である確信はないが、野尻の中では既に話は出来上がっていた。
高校生ならば、これを恋というのかもしれない。しかし野尻の中にあるのは性欲と、多分執着だった。
平和で、安定したこの職を捨てるつもりはないけれど、安穏とした生活は誰だって退屈で嫌になる。
そして今、待ちに待った機会が訪れた。放課後、類が一人で渡り廊下を歩いているのだ。
急いだことがばれないように足音を忍ばせ、偶然のタイミングを装って地学準備室から廊下に出る。
「あ、佐藤じゃないか。ちょっといいか?」
類は驚いた様子で視線を泳がせたが、すぐに返事をした。
「野尻先生、なんですか?」
「まあいから、ちょっと来い…」
それだけ言って準備室に戻りながら中に入るように促した。生徒である類には黙って入る以外の選択肢はなかった。
「風が抜けるから、扉を閉めて」
「はい」
校内は全面禁煙のはずだがこの部屋にはうっすらと煙草の匂いがしていた。メンソール煙草の残り香を敏感に感じて微かに眉根を寄せた類は、閉めた扉の近くから動こうとしなかった。机のところまで下がって、それを無遠慮に、舐めるように眺めた。
言い訳のできる距離は置いている、訴えられることなんかない筈だ。
しかし表情を硬くして唇を結ぶ顔を見ていた野尻はつい口元が緩んで、言ってしまった。
「ちょっとこっちへ来なさい、ほら早く」
電気が走ったような強い緊張。身体が強張りそうな位力が入っているのが手に取るようにわかる。自分の方にゆっくりと歩いて来る類を見ながら野尻は唇の片端を上げた。
「次の授業の資料だがな、これを事前にクラスに配っておいてくれ」
近くに呼んだからにはとにかく理由を付けなければならない。授業の頭に配る予定だった資料を、事前に配布しておくように手渡しした。
「じゃ、ちゃんとやっておくように、頼むな」
そう言いながら、無意識に上半身を引いて距離を取ろうとしている類の背中に触れた。その瞬間発作と見間違えるほどはっきりと身体が震えた。
大丈夫、大丈夫、と類は心の中で自分に言い聞かせていた。ここは学校で、目の前にいるのは教師だ。
逃げ出したくなる身体を理性で押さえつけて一礼し、準備室を出ていった。後ろで自分の背中を見ているであろう野尻の視線を感じていた。
準備室を出ると、すぐ近くの廊下に同じクラスの勝田が立っているのを見た類はほっとした。そうだ、ここは学校だし、他の生徒や教師もいるのだ。
安心して表情を緩ませた類に勝田が言った。
「あいつ、ホモだから。気に入った生徒を準備室に呼びつけて悪戯するらしいから注意した方がいい。呼ばれても適当な理由つけて、一人じゃなくて誰かと一緒に行った方がいいぜ」
耳に届く忠告の言葉を理解しながら、類の視界は暗くなっていった。
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