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第41話

 その次の週はテストや予備校、家の用事でタイミングが合わず、学校以外で会える機会はなかった。 「おはよう」 「おはよ」 「な、この前言ってたヘッドフォン、別の店にあったから試したらさ…」  身の回りのささやかな出来事についての会話。  メールや電話は殆どせず、電車や教室で会った時の挨拶が二人にとっての一日の始まりになっていた。  短い会話を交わした後、何も言わず視線を絡める時間が少しずつ延びていた。残された時間を惜しむように、距離が近づいてゆく。  周りがその変化に気づいているのは分かっていたけれど、止められなかった。  でも、密の受験が終わった次の週、類は引っ越していった。  誰にも行き先を告げずに、一人きりで。  最後に会ったのは学校帰りだった。  急な雨を避けるために寄ったファストフード店で、ハンバーガーと飲み物を買い、騒がしい店内の壁際で、座り心地の悪いプラスチックの座面に向かい合わせて腰を下ろした。  教室の中で何も言わずに見つめ合っている所を見た同級生から嫌な噂が出始めていたのを気にした類が二人きりになるのを避けていたせいもあり、ゆっくりと話をするのは久しぶりだった。  そして、類にはどうしても今日伝えなければならないことがあった。 「学校に行くの、今日で最後だったんだ」  はっとして密が顔を上げた。  類はずっと悩んでいた。ここを離れる前に密にだけは行先を告げようか、と。  ただ、そんなことをすれば、自分をずっと大切に扱ってくれた心優しい彼を縛ってしまうのではないかと不安でたまらなかった。  大学に行き、学校やバイト先でたくさんの友人を作り、そこで出会う誰かと恋をする。そんなありふれた可能性を摘んでしまいたくはない。  だから今は何も言わない、離れて、密が新しい環境で生活を始めるまでは。  それでも会いたいと思ってくれるなら会いたい。  きっとそう思ってくれると信じていたかった。  そして密も、詳しいことは話してくれないけれど、先に進むと決めた類に何も言う事ができなかった。  お互い、その物わかりの良さが悲しかった。  数センチの距離でテーブルの上に置かれた手と手が、愛おしそうに指先を相手に向けている。 一瞬ためらった後、密が類の手を掴んだ。  逃げたくないと思って編入した高校。でも、どうしても人の輪に踏み込み切れずに作っていた垣根をあっさりと飛び越えて自分を包み込んでくれた密の大きな手。  重ねた手を見詰めている類の瞳がどんどん潤んでゆき、表面張力の限界を超えて涙がテーブルに落ちた。  ぱた、ぱた、と音が聞こえそうな程透明な涙がいく粒も落ちて、妙に明るい蛍光灯に照らされた無機質な表面を濡らしてゆく。  嗚咽する事も、肩を震わす事もなく、静かに泣いていた類は、重ねられた手を静かに引いて涙をぬぐった。  次に会う時には、自分は、彼は、何になっているんだろう。  もう少し大人になっていれば、思う通りの事ができたのかな。支えられるようになっていたのだろうか。 『会いに来て』  類の言った言葉だけが、今にも口からあふれそうな密の気持ちを辛うじて押しとどめていた。 「どこに行くかは無理に聞かないけど、俺バイトして金貯めて、必ず行くから。 だから、来てほしいならちゃんと連絡して。待ってる」  精一杯の虚勢。  それだけの会話の後、空き席を探す人が増えてきた店内から押し出されるように外に出て、別れた。 「じゃあ元気で」 「そっちもね」  さようならは言わなかった。

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