7 / 12

 車の中には、濃厚な甘い匂いが充満している。  運転席と後部座席の間はガラス張りになっていて、カーテンがしかれよりいっそう匂いは濃いものになっていた。  甘い匂いにすっかり息をあげて動けなくなってしまった俺は、今、夏目の膝を枕に横たわっている。  ぐらぐらと揺れる視界。  熱い身体。吐く息も熱い。  なんでこんな風に俺の身体はなってしまったのだろう。 「まるでオメガだね。  オメガはアルファのフェロモンにあてられるとこんな感じだよ」  言いながら彼は俺の頬をつーっと撫でる。  たったそれだけなのに、俺は身体を震わせ声を漏らした。 「あ……」 「まあ、発情期のオメガはもっと理性も完全に失って、ほしい、早くちょうだいっておねだりしてくるんだけど。  君はベータだものね」  おねだりってなんだよ。  そんなことするわけないじゃないか。  俺はベータで、俺は男だ。 「なつ……なに考えて……」 「朱里」  咎めるような鋭い声に、俺は胃のそこが冷える感じがした。 「名前で呼ぶように、言ったよね」  手は優しく頬を撫でるが、声は冷たく響く。  従わなくちゃいけないような気がして、俺は言い直した。 「飛衣……どこいくつもり……」 「そのままじゃ帰れないだろうから、うちにつれていくつもりだよ」  うちにつれていく。  言葉を反芻し理解したとき、俺はゆっくりと身体を起こし夏目を見つめた。  彼は微笑んで、俺を見ている。 「何、で家……」 「また、俺を拒絶する?」  俺の問いには答えず、夏目が言う。 「またって……」 「月曜日、送っていくといたとき拒否したじゃない?  俺が申し出て拒絶したやつなんてあまりいないんだよ。  ましてやベータである君が、拒否するなんてね」 「だからって、なんで……」 「忠実な僕とかたくさんいるからね。  俺は俺にノーと言ってくる相手の方がよほど魅力的だ」   俺には正直その思考が理解できなかった。  わざわざ逃げようとする相手を捕まえようとするか?  いや、逃げようとするからか。  逃げると追いかけたくなる。  理解できなくはないが、そんなことしなくても、夏目はほしいと思えば何でも手に入るだろうに。  なんで俺なんか。 「やだ……俺、帰る……」  首を振ると、甘い匂いがまとわりついてきて、俺は大きく息を吐いた。  やばい。またぐらぐらする。  車が揺れ、俺はふらりと倒れ、夏目にしがみついた。  俺のモノからはじわりと先走りが溢れ、下着を濡らしている。  触ってもいないのに、なぜ俺は欲情しているんだ。  全部この匂いのせいだ。  匂いが俺を惑わせる。  こんなこと考えていいわけないのに。  この熱を解放してほしいとか、気持ちよくなりたいとか。  そんなこと考えちゃいけないのに。  なのに俺は……目の前のアルファに囚われる。  夏目は俺の背中に手を回し、片方の手で俺の頭を優しく撫でた。 「欲望に溺れきらないのが、ベータの特徴かな。  オメガなら、欲望に従って自分から抱いてと叫ぶんだけどね」 「俺は、そんなこと……」 「わかってるよ。そんな相手なら俺は興味をもたないし。  理性と本能の狭間で揺れ動いて、抗う姿の方がよほど魅力的だ」  悪趣味だ。  そう思うのに、身体が動かない。  車が静かに停車したのが、僅かな揺れの違いでわかった。 「とい……俺……」  帰りたいとう言葉は、口付けに飲み込まれていく。  逃げようとしても頭を手で押さえられ、それは叶わなかった。  舌が唇を舐め回し、俺の口を開こうとする。  けれど、無理に口をこじ開けようとはしてこなかった。  ゆっくりと、少しずつ俺の硬く閉じた唇を舐め、ほぐしていく。  結局舌は入ることはなく、唇が離れていってしまった。俺はすっかり息をあげ、ぐったりと夏目にしがみついた。  ドアが開く音が聞こえる。 「着きましたが、彼、どうされるんです」  若い男の声が聞こえる。  きっと運転手だろう。姿は見ていないが、車に乗る前に声を聞いた気がする。 「部屋に連れていくよ」  そう言って、彼は車から降りると俺を抱き上げた。  俺だって男だ。体重だってそこそこある。なのに、同じ男に抱き上げられるとか。  夏目のほうが背は高いが、大して体重差はないだろう。そんな相手に軽々と持ち上げられるとか。  正直信じられないが、彼はすっかり動けなくなってしまった俺を家の中に運んで行った。  靴を運転手に脱がされ、俺は夏目の部屋へと連れ込まれてしまった。  大きなベッドにゆっくりと下ろされ、彼は離れていく。  相変わらず、俺の身体には甘い匂いがまとわりついていた。  このまま匂いに溺れたほうが幸せだろうか?  抗って、理性と本能の狭間で苦しむより、その方が楽じゃないか?  そんな考えがよぎっては消えていく。  この状況から逃げる手段なんて思いつかないし、身体が動かない以上どうにもならない。  なら――  このまま、彼の好きなようにさせた方が、楽じゃないだろうか?  いや、でも俺は男で、ベータだ。  男にいいように身体を触られるとか……最悪抱かれるとか、そんなの嫌に決まっている。  何が最善なのか考えれば考えるほどわからなくなっていく。  ただ俺は、ベッドに横たわり、ぼんやりと夏目がブレザーを脱ぐのを見つめた。

ともだちにシェアしよう!