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第3話
夕暮れを越えて闇が村を覆う。
走る呪術師は程なく自宅へたどりついた。
しかし、呪術師がいない時は明かりのつかないはずの診療室に明かりが灯っている事、さらにはそこに二人分の気配がある事に目を見開く。
「!」
近づけば、窓辺にかかる二人分の影が目に入った。影は重なるようにゆらゆらと蠢く。
呪術師は眼の前が燃えるような思いで玄関から飛び込んだ。
「旦那!!」
「あ、先生」
「おや先生おかえりなさい。じゃ、これでアタシは失礼しますねぇ」
……だが、そこには近所に住む老女と男がいただけだった。
老女は紙の包みを大事そうに抱えると呪術師と男にお辞儀をして帰っていく。
「時間外にごめんねぇ、今度お野菜サービスさせとくれ」
「そんな気にしないでよおばあちゃん。近いとは言え夜道に気をつけてね。お大事に」
見送る男に、呪術師が声を掛ける。
「八百屋の、おばあちゃん……?」
「あ、ああ、うん。お孫さんが鼻血を出したみたいで。お医者さんまでは距離あるし、先生がいつも出してる応急キットを渡したんだ」
「……」
「その、先生、おかえりなさい……」
無表情の呪術師に、男が恐る恐る向かい合う。
まだ怒っているだろうか。
自分にとうとう愛想を尽かしてしまっただろうか。
この数時間が重くのしかかる。
なんと言っていいかわからないまま立ち尽くしていると、ふいに呪術師がその場にへたりこんだ。
「せ、先生?!」
男がびっくりして駆け寄ると呪術師は男を掻き抱いた。
「あっ」
下から乱暴にしがみ付く呪術師。男の鼻先にいつもの薬草の匂いと、呪術師自身のスモーキーな体臭が香る。ゾクリと背筋が泡立った。その耳元に呪術師のかすれた低い声がささやかれる。それはまるで懺悔だった。
「旦那……。俺が悪い。全部俺のせいだ」
「せんせい……」
「淫魔の件も、あふれる魔力によるフェロモンも、なにもかも全部俺のせいにしてくだせえ。閉じ込められてるのも、空が青いのも、朝が来るのも日が沈むのも、全部俺のせいだ。どんなに詰っても、なんなら殴ってもいい……だから、だから、俺の側にいてくだせえ」
「……」
自分を抱きしめる腕が震えているのに気づいて男の手が止まる。
一瞬おいてから、壊れ物にふれるように背中に手をまわした。鼻がツンとなり、涙が出そうになるのを堪えてできるだけ静かな声で謝罪する。
「いや、おれも悪かったんだ。先生はおれの為に考えてくれてるのに、それに、酷いことも言った」
「旦那……」
「元はと言えば修行を面倒臭がったおれが悪いよな。…ごめん」
「……」
「これからはちゃんと真面目に修行するからさ、その……」
照れくさそうな男の首筋から顔をあげた呪術師。
一度なにか言いかけてやめて、そして決心したようにまっすぐ男を見る。
「……いや、やっぱり旦那には知る権利がありまさぁ」
「知る権利?」
「手っ取り早く魔力をコントロールするもうひとつの方法だ……ついて来とくれ」
呪術師は男の手を取り、書斎へ向かった。
以前ピンクスライムに襲われて以来なんとなく入り辛さを感じてしまう。
首をすくめてドアを潜ると、呪術師は鍵のついた書棚から銀の高坏を取り出した。
「それは……」
「呪術師が契約をするための呪具でさ」
「契約?」
「旦那は才能と体質、そして淫魔の呪いによって本来ありえない量と質の魔力を常に放出している異常な状態だ。人や魔物を惑わすフェロモンとして流れ出る魔力は強力で、そのままではまっとうな暮らしは望めねえってのは、何度も話したな?」
頷く男。
「旦那には2つ道がある。一つはコツコツ修行を積んで、コントロールを覚える方法。時間は掛かるが代償は少ねえし、その魔力なら努力次第でかなりの魔力職にもつけるだろう。俺としちゃこっちがオススメだ」
「……もうひとつは?」
「もう一つは……」
呪術師は懐からいつも携帯している折りたたみナイフを取り出し、自分の指先を切り裂いた。
「先生?!」
慌てる男を安心させるように呪術師が微笑んだ。
そして指先から流れる血液を銀の高坏に流し込む。
それをきっかけに、魔法使いとして未熟な男の目にも眩しい魔力の光が銀の呪術師を脈打つように包んだ。そしてその光は一際大きく輝くと、杯の中へと一気に移動してまるで伝説の月神酒のように揺れて煌めく。
「この杯を飲み干して、俺の使い魔になるってぇのがもう一つだ」
「使い魔……」
使い魔、それは魔法使いや魔術師等に使役される存在。おとぎ話に聞いたことがある。
けして逆らえぬ絶対忠誠。
抗えぬ隷属の運命。
かつて万能を誇った古代の王ですら、迂闊に結んだその契約には抗えなかった。
だから安易に契約してはいけない。
このあたりの子どもたちなら幼い頃から繰り返し教わる事だ。
「使い魔になれば魔力は共有され、俺が旦那の魔力をコントロールすることができる。だが、使い魔契約は命を繋ぐ呪いだ。主従の主である俺からだって容易に解除はできねえ。破れば重いペナルティが科せられる……。どんな選択肢でも、選択肢があるなら最初に示した上で説明するべきだったんだが……でも、こんな酷ぇ手段、知らないほうがよかっただろう?」
自嘲気味に告げる呪術師。
言葉もなく立ち尽くす男。
それを見て、呪術師がわかっていたとでも言うように口の端を上げる。
命ごと縛られる呪だ、恐ろしく感じないわけがない。金銭ではなく命で縛られる契約に嘘やごまかしは通用しない。男はそのおぞましさに動揺しているのだろうと、呪術師は思った。
「さ、これでわかっただろう……こんなものはさっさと廃棄して」
ため息とともに魔術廃棄物を棄てる浄化箱へ高坏の中身を捨てようとした。しかし、その手を男がガシリと掴む。
「旦那?!」
次の瞬間男の太い喉が一気に輝く銀の高坏を飲み干した。呪術師のオレンジの目が見開かれる。
毛の逆立った猫のように慌てた呪術師が杯を奪い返すがそこにはなにも残っていなかった。
「う~、光っててもやっぱ血の味なんだな」
「な!!」
こともなげに口を拭う男に呪術師が飛びつく。男の指を口に突っ込むが飲み干されたそれはどこにも残っていない。
「あががっ!ふぁにひゅるんだよ!」
「くそっ!」
呪術師が今度は男のシャツを開く。熱い胸板の丁度心臓の上に呪術師の印がぼうっと光り、そして消えていった。
中和の術を仕掛けるが時は遅く、印は男の魂へ刻まれる。
「あああぁっ」
「なんかピリピリすんな。これでちゃんと契約できたのか?」
「なんてぇことを!!」
「おっと、落ち着けよ先生」
男が取り乱す呪術師をなだめるが、呪術師はそれどころではない。
「アンタは何をしたかわかってんですかい?!」
「なにって、使い魔契約だよ。あ、もしかしてなにか正式な手順とかあったのか?今のじゃだめだった?」
「駄目に決まってんでしょ!使い魔だなんて、アンタ……そんな……俺に命令されたら死すら拒めねえんですよ?!」
「おれは先生の為なら死ねるぜ?」
「うう、そういう事じゃねえんですよう……ああ、チキショウ……」
「じゃ、これでおれは先生の使い魔なんだよな?」
顔を両手で覆う呪術師にニコニコする男が尋ねる。
「……そういう契約ですよ……そういう呪いなんです……」
呪術師の悲痛な声にのんきに答える男。
「じゃ、これでずっと一緒にいられるんだな?」
「……は?」
「ならいいじゃねえか。おれ、先生とずっと一緒にいられりゃ大体それでオッケーだぜ?あ、先生がおれを要らなくなったら、ちゃんとその時は居なくなるからさ。それまで、一緒にいさせてくれよ」
「……」
「先生?」
「ああああ」
「うわっ!」
呪術師が大声をあげながら急に頭を抱えしゃがみ込んだ。
「なんだ?!どっか痛いのか先生!」
「旦那が……旦那が……」
「うん?おれがどうした?」
「旦那が馬鹿だ……」
「ひでえ!」
「アンタもうこれで俺から逃げられねえんですよ……こんな酷い男に縛り付けられて……どう幸せになるってんです……」
「ははっ、そんなの先生のが馬鹿だぜ!おれの幸せは自分で決めた事だけだ!そして今先生といられることがおれの幸せなんだよ。それにこれで俺の魔力も先生がコントロールしてくれるんだろ?」
「うう……目的が入れ替わってるのにも気づいてねえし……」
「まあいいじゃねえか、どちらにしろ一石二鳥……うっ」
ご機嫌で調子に乗っていた男の顔色が、その時急に変わった。
様子がおかしいのに呪術師がふと顔を上げる。
「旦那……?」
「なんか、急にからだがあっつく、なってきた……」
とっさにふらつく男を支える呪術師。はだけた胸元に、一度消えたはずの魔術印が光っているのに気づいた。
「これは……旦那の多すぎる魔力に処理落ちしてやがんのか……どこまで規格外なんだアンタ!」
「しょり、おち……?」
「ようするに、術本体がキャパシティオーバーしかかってんですよ。ああもうこんな事聞いたことがねえ!信じられねえ!」
呪術師が浮かび上がる印の上を軽く人差し指でなぞる、そのとたん
「ああっ」
暴走する魔力の流れにびくんと男の体が波打つ。
反らされる首筋に汗で張り付く髪。息は次第に上がりまるで房事の喘ぎのよう。
誘うような媚態に呪術師の喉が動く。
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