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「そう言われても、ないものはない」  淡々とした口調でそう話す男は刃物を突きつけられているというのにやはりともいうべきか、一欠片の緊迫感も感じない。  自分は妖狐だ。嗅覚だって人間以上にある。だからこの屋敷から漂ってくる何かしらの甘い匂いに間違いはない。自分に限って誤りなどあろう筈もない。ならばこの男が嘘偽りを申しているに違いないのだ。  そこで真尋ははっとした。  この男は自分を傷つけるつもりがないことを察知している。  よもや家人が戻ってくる時を稼いでいるのではなかろうか。  そうなる前に早く何かしらの手を打たねばならない。しかしどうやって?  家人が屋敷に戻ってくる前に、何としてでも空腹を満たしたい。これ以上はもう、自分の身が持たない。――とはいえ、血を見るのも誰かを傷つけることもしたくはない。  真尋は一人焦っていると、どうやら男は思い直したようだ。 「ああ、あったな。金糸雀(かなりあ)」  男は何とも間の抜けた声で拳を叩いた。さらに続けて誰かしらの名を呼んだ。

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