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【お狐様と俺】睦月なな

稲田町にある稲森(いなもり)神社は創祀されておよそ千年経つ由緒正しい神社だ。 神主である稲森 (ただし)は修行の旅に出ており不在であるが、妻の綾子が神主代理で神社の管理をしている。 さて、この稲森神社がお祀りしているのは、『お稲荷様』。稲荷大明神が正式な名前である。 穀物や農業の神様で、ウカノミタマノカミと同一視されて……うんぬんかんぬん。 というわけで、お稲荷様、狐の神様をお祀りしているのだ。 そこの息子である稲森 秋人(あきと)は、普通の高校一年生。スマホゲームに興じている最中だが、そんな平々凡々な高校生には秘密がある。 畳の上に敷いたカーペットの上でゴロゴロとしていると、上に大きなものが乗り掛かる。 秋人が「ぐえっ!」と汚い声をあげる。 「おい!秋人、外に出るぞ!」 「今、忙しいから無理」 上に乗り掛かったのは、それはそれは美しい男。 稲穂を思わせる金色の長い髪に、夏の新緑を思わせる緑色の瞳、鼻筋がスッと通り、淡い桃色の薄い唇。 緋色の束帯姿は優美な平安貴族を思わせるが、ただ人間と違うのは、金色の髪の間から覗く三角の獣の耳と、尻から生えるふさふさとした大きな尻尾だ。 「また、『すまほげぇーむ』という奴か……。そんなもの早く終わらせて、我の力を復活させるのだっ!」 バタバタと秋人の上で暴れているのは、狐の妖怪、名前を「萩月(はぎつき)」という。 萩月は倉の中にあった巻物に封印されており、秋人がその封印を解いてしまったのだ。 「なぁ、まだ力って全部揃ってないの?」 「まだまだこんなものではないのだ……我の力はもっともっとすごいのだ……!」 封印を解いたとき、一緒に封印されていた力も解き放ってしまい、バラバラになってしまった。 お稲荷様の眷族(けんぞく)であり、大妖怪でもあった萩月。 妖狐の力を受けた魑魅魍魎たちが悪さをし、それを倒していく度に、力を取り戻していったが、まだまだ足りぬらしい。 「我は秋人が居らねば、力を発揮できぬ……知っておるであろう?」 後ろから、秋人の唇を指でなぞる。 そのなぞり方が、何だかいやらしい。 「知らない」 「つれない態度も可愛いのぉ。我の力を引き出すのは、秋人の口づけだけなのだぞ?」 「言うな!バカ!」 魑魅魍魎たちを倒すためには、萩月とキスをして力を分けなければならない。 萩月が言うには、秋人の魂は清く美しいらしい。 魑魅魍魎にとっては「ごちそう」なのだそうだ。 秋人は口づけという言葉に顔が熱くなり、唇をなぞっていた指を噛んだ。 「痛ー!何をするのだっ!」 「お前が変なことするからだろ!あんまり変なことしたら、巻物に封印し直すからなっ」 最近、秋人には悩みごとがあった。 どうやら、この狐の妖怪にすこぶる気に入られているらしい。 スキンシップが最近激しく、今日みたいに抱きつかれたり、頬をつつかれたり……前は耳を舐められて変な声を出してしまう始末。 「あんまりベタベタすんなよ」 「秋人はつれないのぉ……」 寂しそうに耳と尻尾を垂らす萩月の姿に、秋人は少し可愛いと思ってしまう。 (俺よりでかい奴なのに、かわいいとか、ないな……) つれない態度をしながら、内心はドキドキしていた。 「我は秋人がおらぬと力もまともに使えぬ……」 体育座りをしながら、部屋の隅で尻尾をフリフリしている。 秋人は構わず、ゲームに目線を戻す。 「千年前は良かったなぁ……皆が我のことを恐れながらも崇拝してくれていた……」 カーペットの上にのの字を書く神様。 「はぁ~……いつになったら、力が元に戻るのか……魑魅魍魎たちが、人間に悪さをするかもしれない……しかし、秋人が外に出てくれなければ、退治することも叶わぬだろうなぁ~」 秋人は、深く深くため息をつき、スマホのホームボタンを押して、画面を暗くした。 「……で、どこに行くんだよ」 その言葉を聞いて、萩月はぱっと振り向き、ぱぁ……っと顔が明るくなった。 「今から聞きに行くのだ!」 ◇◆◇◆ 「さぁ!出発だ!」 いつも萩月の力を探しに行くときは、秋人の自転車に乗って探しに行く。 ちなみに、萩月は今、金色の小さな狐の姿となって、自転車の籠に入っている。 小さな萩月は近所のおばさま方の人気者で、大好物の油揚げをもらうと一芸披露しており、愛嬌があると稲田町のアイドルとなっている。 しかし、裏では「まったく、人間とは小さくてもふもふしているものに弱いな」と油揚げを頬張りながら萩月が呟いているのを聞いた。 (お前は油揚げに弱すぎだ、客寄せ狐め) と秋人は毒づくのだった。 自転車を走らせる。 稲田町は、田園風景が広がる風光明媚な……田舎町だ。 最寄り駅も遠くて、全く最寄(もよ)っていないし、バスも1日三本しか通らない。 高校までは自転車で30分かけて通っている。 田んぼの、比較的広い(あぜ)道を通り、林の中に入っていく。 林の中には小さな川が流れている。 ぴょーんと自転車の籠から萩月が飛び出すと、川の近くまで寄って、「おーい!出てくるのだ!」と川に向かって叫んだ。 すると、川の向こうからひょこっと顔を出す。 それは笠を被った小さな子供のようだが、顔は茶色の毛で覆われており、黒いつぶらな目がこちらを見ている。 「萩月様!いらっしゃいまし」 ペタペタと濡れた足音を立てながら、こちらに近づく。 これは川獺(かわうそ)という川に棲む妖怪で、人間の子供に化けて、人と交わって生きてきた。現在はごく一部の人間にしか会わないらしい。 「川獺よ、最近おかしなことは起きていないか?」 川獺は昔のように人間に話しかけはしないが、好奇心は旺盛で町に行くのは好きらしく、情報通なのだ。 「うーん……最近変わったこと……あぁ、そういえば、夕方に三丁目を通ると急に気を失う人がいるらしいです。それも今月に入って五人も」 「気を失うとはどういうことなのだ?」 小さな狐と川獺が話しているのを見ていると、秋人は何だか可愛い人形劇を見ているような気になる。 「そのままの意味です。夕方は逢魔ヶ時、人ではない何かに出会うんでしょう」 「人ではない、何かって……?」 秋人が川獺に聞くと、川獺はクスクスと笑う。 「人ではない者……私らと同じ、妖怪ですよ」 妖怪。 秋人は、萩月と出会ってからこの類いの者にたくさん出会うようになった。 襲われることの方が多いが、助けられたこともある。 特に萩月の力は欠片でも強大で、特に悪さをしない妖怪でも力を得て、悪さをしだす。 「気を失うだけではなくて、記憶も少し無くなっているようで……魂をすこーしずつすこーしずつ吸い取っていってるようなんです」 「放っておいたら、いつか誰かが死ぬということか」 小さな狐は腕(というか前足)を組んで、考え込んでいる。 「よしっ!秋人、三丁目に行ってみるぞ!」 再度ぴょんと秋人の自転車の籠に乗り込む。 秋人は「はいはい」と返事をして、自転車を漕ぎだした。 ◆◇◆◇ 「もうすぐ三丁目に着くぞ」 「うむ!それにもうすぐ夕方……逢魔ヶ時だしな」 日が暮れかかり、影がだんだん濃くなっていく。 三丁目は住宅街で、家を囲むブロック塀が続いている。 萩月を乗せた自転車を押しながら、三丁目をウロウロしていると、さっと頭上に影がさした。 「何か探し物か?秋人」 ブロック塀の上に立っている男が、秋人と萩月を見下ろしている。 「秋水(しゅうすい)」 秋水と呼ばれた男はブロック塀から、ストンと降りる。 190センチくらいの大男。 萩月とは違う、精悍な顔立ちの男だが、頭に角が生えている。 「む。何をしに来たのだ、鬼よ」 「ん?あぁ、狐か。今日も秋人に金魚のフンみたいに引っ付いてるのか?」 「誰がフンだー!!」 萩月は自転車の籠の中でプンプンと怒っている。 秋水は秋人の肩を抱き寄せる。 「秋人、そろそろこんな狐放っておいて、俺の嫁になれよ」 「そんな選択肢はない」 秋人はばっさりと秋水の言葉を切った。 秋水は1000年という長い年月を生きてきた鬼で、秋人の魂に惹かれている。 秋人の魂が清い魂だからという理由だけではなく、秋水がかつて恋慕っていた者の魂と同じだからだ。 「そんなツンツンしている秋人も可愛いな」 秋人の頬をつつきながら、秋水は笑う。 「こら!我の秋人に触るでないっ」 萩月は籠の中から飛び出して、秋水の手をはたき落とす。 小さな狐と大きな鬼の攻防戦を横目に、路地を左に曲がった。 ぶつっというテレビの電源が切れたような音が秋人の耳元に響いた。 ◆◇◆◇ カラスの鳴き声、夕焼けがやけに眩しい。 秋人は周りを見渡すと、土手の上に立っていた。 その土手の左右には、田んぼが延々と広がっている。 さっきまでの住宅街とは全く違う雰囲気で、萩月と秋水もいなくなっている。 後ろを見ても前を見ても、土手の上の一本道がずっと続くばかりで、横道なども見当たらない。 秋人は自転車を押しながら、仕方なく一本道を進むことにした。 カラスの声と、カラカラと自転車を押す音が寂しく響く。 (一体どこまで続いているんだ……) しばらく進むと、ぼそぼそと話し声が聞こえる。 左側の田んぼを見ると、もんぺ姿に白いほっかむりをした四人のおばあさんたちが腰を曲げながら、田んぼに稲を植えている。 話し声は途切れることなく続き、おばあさんたちは絶え間なく稲を植え続けている。 (おかしい……もう日が暮れるのに、何で稲なんて植えているんだ……けど) 秋人はここがどこなのか気になった。 この人たちがどうしてこんな夕暮れに稲を植えているのかも気になった。 そして、何を呟いているのかも。 話しかけずにはいられない。 そんな衝動に秋人は駆られる。 秋人は土手の上から、声をかけようとした。 すると、話し声がボリュームを上げたように、耳に届いた。 『稲がひとーつ。稲がひとーつ』 『大きくなれよー。大きくなれよー』 『米がひとーつ。米がひとーつ』 『おいしくなれよー。おいしくなれよー』 『人がひとーつ。人がひとーつ』 『おおきいなー。おおきいなー』 『魂ひとーつ。魂ひとーつ』 『うまそうだー。うまそうだー』 秋人はとっさに(駄目だっ!)と体にブレーキを掛けた。 これらには話しかけてはいけないと思った。 昔、萩月に教えてもらったのだ。 変な場所、変な者には話しかけたり、返事をしてはいけないと。声をかけてしまうと…… (声をかけると……声をかけると……どうなるんだっけ??) そして、こうも言われた。 『秋人、直感を大事にするのだ。そういう勘は何万年何千年という月日で魂に蓄積されたものだ。直感を信じるのだ』 話しかけたいという衝動を抑えながら、僕は自転車に勢いよく乗り、漕ぎだした。 ◆◇◆◇ 「これはどういうことなのだ!秋人がいなくなったぞ!」 「引きずり込まれたんだろ。異界に」 騒ぎ立てる萩月とは反対に秋水は冷静に物事を分析している。 秋人が曲がった路地は袋小路になっており、秋人は忽然と消えてしまったのだ。 萩月はくるりと後ろにバク転するように回転すると、元の人の姿に戻った。 「むぅ……多分襲われた人間たちもここに捕らわれて、気絶したのだろうな……ただ襲われた記憶がないから、異界の存在には気づかれなかったということか」 萩月はブロック塀の壁を見つめながら、納得した。 「秋人の魂は綺麗だからな。色んなものを引き寄せる。よく今まで無事だったと思うよ」 「はっ!そんな分析をしている場合ではない!早く異界に入るのだ!!鬼、貴様の手でこじ開けるのだ」 「ああ?何で俺が……って、力使えねぇのか。全くこんなことが出来なくて、何が大妖怪だよ」 「うるさいっ!秋人が食われてしまうぞ!」 秋水は舌打ちしながら、ブロック塀に指を突っ込んだ。 硬いはずのブロック塀は、ヒビが入ることなく、水の中に手を入れたように広がっている。 その隙間を両手で広げるように秋水がこじ開けた。 「結構硬いな……これ以上、開かねぇ……ん?あれは何だ?」 秋水は中をよく見るために、体を捩じ込んだ。 ◆◇◆◇ まだまだ一体道が続いている。 そして、さっきから自転車が重たい。 (あーもう、やだなぁ……) 秋人の自転車の後ろには荷台がついている。 その荷台に「何か」乗っているのだ。 普通だったら、振り向いて確認するが、秋人の直感が「振り向くな」と言っているので、秋人はそれを信じて、漕ぎ続けた。 空は赤い。もうとっくに日は沈んでいるくらい時間が経っているのに、まだ夜が来る気配がない。 気付くと土手の両脇に木で作られた電柱が等間隔に並んでいる。 電柱にはブリキの広告が打ち付けられている。 『御用ノ際ハ下記ノ連絡先ヘ↓』 『消毒液は ヨードチンキ』 『ソウダ!カレーニシヨウ!』 『裸体ノ芸術パラダイス、ニューオリヲン座』 『蛙の子は蛙』 『アナタハ神ヲ信ジマスカ?』 『前に進め!見上げよ!』 意味もなくその看板を一枚一枚読んでしまう。 気をまぎらわそうと読むが、延々と続く看板地獄に目が疲れてきた。 一旦自転車から降りると、はぁ……と秋人がため息をついて空を見上げた。 その瞬間空がぐにゃり曲がり、大きな指が現れる。まるで空をこじ開けているようだ。 「な、何だ?あれ……」 ぐぐぐ……と空にぽっかり穴が開き、大きな顔が出てきた。 「秋水!?」 「おー、秋人。小さくても可愛いなぁ」 呑気な言葉に少しイラつきながら、秋水を見上げた。 「ここはどこなんだ!?変なおばあさんたちがいて……」 「秋人、ここは異界。ここにいる人っぽいものは人じゃないから、話しかけるなよ。それから、その自転車の後ろに乗ってるやつにも話し掛けるなよ」 やっぱり後ろに乗ってるんだ……と秋人はげんなりした。 もうこんな世界脱出したい。 「それから、ここに棲む妖怪もわかったぞ」 「え!?どんな妖怪なんだ?」 「それはな、見……うどう……上げると……れるから……上げるな。……人間の魂を……ってるから、力が強……っているから、気を付けろよ。すぐ助けに行くからな」 ところどころ電波が乱れるようなノイズが邪魔をして、うまく聞こえない。 それだけ秋水が言うと、空間は閉じてしまった。 秋人の「待って!」という静止を聞かずに。 「もう……何なんだよ……」 真っ赤な空が秋人を見下ろしている。 仕方なく前に進むと、前の方から古い自転車の音が聞こえる。 ギッコギッコという自転車を漕ぐ音。 乗っているのは黒いコートを着たおばあさんかおじいさん。 左右に揺れながらゆっくり漕ぐ姿はなんだか怖い。 近付いて秋人の前にやって来ると、その人物は自転車から降り、コートを脱ぐ。 しかし、秋人の前に現れたのは、坊主頭の少年だった。 白いタンクトップに紺色の短パン。 膝小僧は少し汚れている。 真ん丸な黒い瞳が秋人を映す。 短パンのポケットから茶色の饅頭を取り出すと、大きな口を横に引っ張るようににこーっと笑った。 「まんじゅう、食べる?」 そんなに美味しそうな饅頭には見えないのに、やたらお腹が空いてきた。 だが、手にとってはいけない、と秋人の本能が言っている。 返事をしてはいけないから、秋人は自転車に乗って、その少年の横をすり抜けた。 秋人は重たい自転車を漕いで漕いで漕ぎまくった。 前を見ずにすごいスピードで回る車輪を上から見ながら、漕いでいると、どんと何かにぶつかった。 自転車から体が弾き飛ばされ、秋人はしりもちをついた。 「いってぇ……」 尻を擦りながら、地面を見ると秋人はびくりとした。 大きな足だ。 わらじを履いた、大きな足。 とても人間とは思えない。 『前へ進め!見上げよ!』 秋人は頭の中で電柱に書かれた看板を思い出す。 何故、今こんな言葉を思い出すのだろう。 見上げなければと思ってしまう。 ゆっくりと見上げる。 脛から膝、縦縞の着物が見える。 太もも部分、腰、胸、太い首。 もうすぐ顔を見てしまう。 見てはいけないような気がするのに、見上げてしまう。 自分の体が自分の体ではないように秋人は感じた。 顎のところまで見上げたところで、誰かに両目を塞がれた。 「見上げてはいけないと言ったであろう?秋人」 聞き慣れた尊大な口調。 でも、優しさが滲み出ている。 「萩月……?」 「助けに来たぞ、秋人」 緑色の瞳が美しく輝き、秋人の驚いた顔が写っている。 薄桃色の唇が弧を描き、秋人に優しく微笑むと、艶のある唇を秋人の唇に重ねようとする。 「ちょ、ちょっと待て!」 秋人は思わず、萩月の唇を手で押さえる。 「秋人、何をするのだ!?秋人と口づけしなくては、我は力を使えないのだぞ!」 秋人は、あ、そういえば……と思い出した。 引き出すにはその方法しかないのだ。 不意をつくようにキスされることに未だに慣れない秋人は条件反射のように萩月を押さえてしまう。 「いい加減慣れておくれ、秋人」 「ご、ごめん……でも、慣れないんだよ」 そもそも彼女もできたことがない秋人にとって、キスは難易度が高い。 秋人がゴニョゴニョと言い訳をしていると、「隙ありっ」と萩月はちゅっとキスをした。 キスをした途端、萩月の髪は輝きを増し、緑の瞳は赤く燃えるようになった。 周りにはモヤモヤとした白い空気が萩月の周りに立ち上っている。 「気」というものだろうか。 「全くお前らは面倒くさい関係だな」 どこからともなく、秋水も現れる。 「おー、さすが見越(みこ)入道(にゅうどう)、でっかいなぁ」と秋水は大男を見上げている。 「見越し入道って……?」 「見越し入道とは、山に棲む大きな妖怪で、見上げた人間を驚かすだけの妖怪だ。普段は悪さしないのだがな。我の力の欠片を手に入れてしまったのだろう」 「見上げるなよ」と萩月が秋人の耳元で囁くと、秋水を手招きする。 「さ、やるぞ。鬼」 「本当にあんなトンチみたいなのが効くのかぁ?」 秋水は解せぬと言わんばかりの顔だ。 「こういう可愛い妖怪には、トンチが案外効くものよ」 「力任せに殴っちまった方が早いだろ」 「山の妖怪は意外としぶといぞ。怯ませたところで一撃加えた方が効くであろう。さ、大妖怪である我が言うのだ。鬼は言うことを聞くのだ」 萩月は秋水にそう言い聞かせると、一枚の真っ赤な紅葉を差し出した。 「俺も一応鬼の中では古株なんだけどな……」と言いながら渋々頭の上に乗せる。 萩月は印を素早く結ぶと、呪文のような物を呟いた。 秋水は見越し入道と向かい合わせになった。 「おい、見越し入道。お前も大きいが俺も大きいんだぞ」 秋水はニヤリと笑う。 すると、みるみるうちに大きくなる。 秋人には見越し入道を見上げることは出来ないが、秋水がそれ以上に大きくなっていったのが分かった。 電柱を越え、見越し入道を越え、天高くそびえ立つ秋水の体。 太陽まで手が届いてしまうのではないかと思うほどだ。 見越し入道も秋水を見上げているのか、秋人と同じようにどーんと尻餅をついた。 腰を抜かしてしまったようだ。 「さぁ、お仕置きだぞ」 秋水は拳を振り上げ、見越し入道の大きな体をぶっ飛ばした。 その巨体は秋人の側をかすめ、田んぼの中に落ちてしまった。 その弾みで、美しい玉が弾けとんだ。 「萩月、あの玉は何?」 「あれは、人間から吸い取った魂の欠片だ。持ち主の所に帰るのだろう」 その玉に紛れて、一際美しい虹色の玉が飛び出す。 「あっ」と秋人は思わず、その玉を受け止めようと走った。 その虹色の玉は萩月の力の欠片だった。 「秋人!」 秋人は土手を転がり落ち、田んぼに落ちた。 痛みを覚悟して飛び込んだが、秋人の体は不思議なことに全く傷ついていなかった。 それどころか、何かに守られているように痛さを感じない。 その代わり、「痛たたた……」と下から萩月の痛そうな声が聞こえた。 「萩月!」 「全く秋人は無茶をする」 「だって……大事なものだろ?」 秋人と萩月はずぶ濡れになりながら、お互い顔を見合わせ、笑いあった。 秋人が両手で差し出した虹色の玉を萩月は口に含む。 「うむ……清々しい気分だ。我の一部が戻ってきた」 「良かった……」 秋人は萩月に微笑むと、萩月は顔を赤くなる。夕日のせいかもしれないが、照れているようでもあった。 「秋人、いつも危険な目に遭わせてすまぬ。本当は自力で何とかしなくてはいけないのだが、我には秋人が必要なのだ。……力も大分戻った。あともう少しなのだ。あともう少し……我と一緒にいてくれるか……?」 すっかり元に戻っている緑の瞳が不安げに揺れている。 「嫌っていっても……俺の……その、唇がないとダメなんだろ……あとちょっとぐらい付き合ってやる」 秋人は唇を尖らせながら、萩月と約束した。 「おい、狐」 と大きくなったままの秋水がしゃがんで、二人を覗きこんだ。 「これ、どうやって元に戻んの?」 ◆◇◆◇ 小さくなった見越し入道は、なかなか愛嬌のある顔立ちだった。 つるりとしたハゲ頭に、つぶらな小さな黒い瞳、丸いだんご鼻、小さな目の上にはハの字になった眉毛。 入道はポンポンと秋人の頭を撫でる。 秋人は思わず首をすくめるが、入道の顔は優しく『田舎のおじさん』のような温かさがあった。 「怖がらせてすまなかったと言っているのだ」 入道の言葉は人間には聞こえないらしく、萩月が通訳してくれた。 「今度、お詫びに山の幸をくれるらしい」 「え!?そんな、いいのに……」 「もらっとけ、もらっとけ。今時、山に棲む者から山の幸をもらうなんて、なかなか無いんだからな」 秋水は笑いながら教えてくれた。 見越し入道は異界の出口まで案内してくれた。 出口をくぐり、秋人はお礼を言おうと振り向くと、そこは秋人が吸い込まれた三丁目の袋小路になっており、ブロック塀がただ無言で建っていた。 「見越し入道って……優しいんだね」 「山の妖怪は、基本優しいのだ。丁寧に接したら、害になることはない。むしろ、人間の仕事を手伝ったり、山の幸をお裾分けしてくれたりしてくれる気の良い妖怪の方が多いのだ」… 妖怪と人間の境が今よりもずっと曖昧だったときの話だがな、と呟く萩月の顔は少し寂しそうだった。 ◆◇◆◇ 後日談…… 「あーくん、見てみてぇ!」 日曜日。学校が休みの秋人は、10時を過ぎても寝ていた。ちなみに萩月も小さな狐の姿になって、秋人の腕の中にくるまっていた。 秋人は意外と可愛いもの好きなのを見破った萩月は、狐の姿なら一緒に秋人が寝てくれることが分かって以来、この姿で一緒に休んでいる。 一階から二階の秋人の部屋にやって来た、秋人の母親・綾子は、「あーくん、起きて!」と叩き起こした。 「んぅ~何だよぉ……まだ眠いんだけど……」 「んもう!休みだからってダラダラタラタラしてたら、たらこになっちゃうぞ!」 訳のわからないボケをかます母親に、秋人はいちいちツッコまない。 「何だよ?」 「さっき玄関先にね、これが置いてあったのよぉ!」 竹で作られたザルにキノコが載せられている。 秋人は眠気眼でキノコを一つ取ると、良い香りが鼻をくすぐった。 「これすごい良い香りがする……」 「当たり前でしょ!松茸だもん!」 「松茸!?松茸ってキノコの中でもめちゃくちゃ高いあの松茸!?」 「ほぉ……これはよい松茸だな」 いつの間に起きたのか、人型になった萩月が松茸を一つ取り、しげしげと眺めている。 「七輪で焼くのも良し、土瓶で蒸すのも良し、炊き込みご飯にするのも良し……我は七輪で焼くのが好みだがな!」 「おはぎちゃん!私、七輪取ってくるわね!!今日は松茸パーティーよ!」 「綾子、お前を松茸ぱーちーの係に命ずる。我は美味しい酒を用意してこよう」 「きゃー!おはぎちゃん、素敵ぃ!」 何やらすごい勢いで盛り上がっている。 この二人は意気投合すると、話がすごい勢いで進んでいく。 綾子は「七輪♪七輪♪」と歌いながら、一階に戻っていった。 「なぁ、萩月……もしかして、あの松茸って……」 「言ったであろう?山の妖怪は丁寧に接すると優しいのだと」 萩月はふふふ……と笑いながら、今夜はどんな酒を用意しようかと頭の中で考えるのであった。 終 【感想はコチラまで→】睦月なな@mutuki_7_7

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