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第1―8話
高野と小野寺がタクシーを降りた所には、スタイリッシュなグレーを基調とした三階建てのビルが建っていた。
まるで一流ホテルのような佇まいだ。
入口の自動ドアの上に、渋い金細工で流れるような細いお洒落なフォントで『Emerald』の文字。
小野寺は「わーエメラルドですって!うちと同じですね!」と無邪気に笑っているが、高野の額に青筋が浮かぶ。
あんの…馬鹿社長!!
絶対井坂さんの入れ知恵に違いない!!
どうせ『ウチで一番売れてる月刊誌の名前にしろよー。縁起良いぞ』とか何とか言いくるめたんだ…。
ただ単に自分が楽しむ為に…!!
俺が編集長をしている大事な雑誌の名前が、何でハッテン場と一緒なんだよっ…!!
くっそー…
高野が静かに怒りをみなぎらせていると、小野寺が高野を不思議そうに見上げる。
「高野さん?どうかしましたか?」
小野寺の顔を見て、高野は当初の目的を思い出し、そんなことはどうでも良くなる。
「…いや、健康ランドには見えねーなって感心してた」
「ですよねー!!
俺、健康ランドって初めてなんですけど、もっとこう庶民的なのかと思ってました」
「…初めてなのか?」
「はい!」
高野がガシッと小野寺の肩を掴み、自動ドアに向かって歩き出す。
高野の頭の中には『健康ランドが初めて=俺のやりたい放題』という図式が渦巻いていた。
しかしいくらスタイリッシュで一流ホテルのような佇まいでも、そこは健康ランド。
まず玄関で靴を脱ぎ、靴を靴箱に入れて、そのキーをフロントに渡す。
フロントの美青年が微笑む。
「お名前を伺っても宜しいでしょうか?」
「高野政宗。こっちは小野寺律」
「はい、高野様と小野寺様ですね。
本日はリサーチにお越し頂きありがとうございます。
ごゆっくりお楽しみ下さいませ」
フロントの美青年がロッカーの鍵と、健康ランド専用のバスローブとバスタオルと普通サイズのタオルが入った、ゴールドのラメで『Emerald』と印字されたグリーンの手提げ袋を高野と小野寺それぞれに渡す。
高野と小野寺のサイズに合わせたバスローブが入っているのだ。
二人はうきうきと脱衣場のロッカーに向かう。
二人のロッカーは、広々とした誰もいないロッカーの中程の上段に並んだ番号だ。
高野はその場でパッパッと服を脱いでいくが、小野寺はその列のロッカーの隅でコソコソ脱いでいる。
高野が腰にタオル一枚を巻いて暫くすると、小野寺も同様の格好でロッカーに戻って来て、カチンコチンのぎこちない動作で荷物をしまっている。
高野がプッと吹き出して、後ろから小野寺を抱きしめる。
「ちょっ…離れて下さい!」
「お前の裸なんて見慣れてるっつーの。
緊張し過ぎ」
「だだだだって…こーゆーとこで裸とか…!
何か違う…」
顔を赤くして俯く小野寺の手首を高野ががっしりと掴み、「行くぞ」と言って歩き出した。
大浴場には湯の音だけが響いていた。
「わあ、広ーい!
お風呂がいっぱいある!」
小野寺がキョロキョロと浴場を見渡す。
「小野寺、まずはかけ湯だ」
高野に言われて振り向くと、高野は入り口に入って直ぐの所にある、小さな滝のように湯が注がれているやはり小さな石作りの湯溜まりから、手持ちの付いた小ぶりの桶で湯を掬い、全身にかけていた。
全裸で。
「たたた高野さんっ!タオル…タオルは!?」
「は?そこの棚に置いたけど」
「場所を訊いてるんじゃありません!
何でタオル取っちゃったんですか!?」
「ああ?お前馬鹿じゃねーの?
これから風呂入るのにタオルなんて必要ねーだろ」
「でもっ…でも…」
「いーからお前もタオル取ってかけ湯しろよ。
次に進めねーだろ」
高野が手を伸ばし、小野寺の腰に巻かれたタオルを取ってしまう。
そして
「やめっ…ちょっ…熱いーーー!」
肩からザバザバと湯をかけられる。
股間にも容赦無く。
小野寺が真っ赤な顔で涙目になりながら高野を睨む。
「熱くねーよ。温泉だったらこんなもんだろ。
じゃあ軽く身体洗ってお湯に入ろーぜ」
高野はそんな小野寺の視線を無視して、ナイロンタオルとバスリリーがかわいらしく盛り付けられた籠を見ている。
「これで身体洗うんだよな?
バスリリーか…。
資料では見たことあるけど、使ったことねーな…よし!バスリリーで洗うぞ!」
楽しそうにピンクのバスリリーを掴む高野に続いて、小野寺も脱力しながらバスリリーを掴む。
高野が入り口横から続く洗い場の一番奥に座る。
小野寺はひとつ席を空けて隣りに座った。
「…何で離れんの?」
「べ、別に。
誰もいないし、広々と洗った方がいいじゃないですか」
「…ふーん」
そんな会話の最中にも、高野の手の中のバスリリーはモコモコと泡立っている。
小野寺もバスリリーにボディソープを垂らして泡立てようとした時、背中にフワッとした感触がして「ひゃっ」とヘンな声が出てしまった。
フワフワと何かを塗り広められる感触。
小野寺はため息をついて振り返る。
「高野さん!セクハラですよ!」
そこにはモコモコの泡を手にした高野。
「はあ?プライベートでセクハラってあんの?
つか上司に背中流して貰っておいて、その態度なに?
普通逆だろ?
やっぱお坊ちゃまは…」
「わ、分かりましたよっ!
俺が高野さんの背中流しますから、俺に触らないで下さいっ!」
「あ、そう?
じゃあ俺がやったみたく手で洗えよ?
バスリリーで直で洗うとか無しな。
常識だけど一応言っとく」
「分かってます!!」
ギャーギャー言い合いながら、高野の広い背中に泡を広げる小野寺。
その時、大浴場の入り口では。
……嘘だろ!?
何で高野さんと律っちゃんがいんの!?
腰にタオル一枚を巻いただけの木佐が固まっていた。
木佐の後ろには、やはり腰にタオルを一枚巻いた雪名がいた。
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