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第12話:リコリスの咲く夜空のしたに【プロローグ】

 夜遅く東京駅に降り立って、まだ湿り気のある熱い空気の中を笹木は目的の店に向かって歩いていた。  この街の喧騒は久しぶりに来たのに何時(いつ)もと変わりがなく、ただやけに今年は外国人の往来が多いな、と感じた。  馬鹿騒ぎの声が響く通りから一本道を逸れてしばらく行くと目的の店の看板が現れる。雑居ビルの地下に降りて、店の名前が小さく掲げられた重厚な扉を開いた。 「いらっしゃいませ」  静かに流れる音楽に乗せてカウンター向こうのバーテンダーが挨拶をしてくれた。笹木(ささき)はさっと店内を見渡すと、バーテンダーの前のカウンター席に座った。 「笹木さん、お久しぶりですね」  バーテンダーがにこやかに声をかけてくれる。 「タクミくんも久しぶり。盆時期なのに結構人がいるね」 「おかげさまで。といっても、盆や正月に帰省出来ない連中ばかりですよ。俺も含めて」  ちょっと毒を孕んだ物言いも、常連としての友好の明かしなのだろう。 「今夜はラン子ママはいないの?」 「今日は銀座の店に顔を出してから来るそうです。あっちはさすがに客が少ないし、女の子も休みを取りますからね」  何にします? と訊かれて笹木はビールを頼んだ。  ここは笹木が息抜きに通う都心の小さなバーだ。場所は新宿二丁目だから、いわゆる同好の士が集う場所だ。だが、この店は他のゲイバーとは違ってお祭り騒ぎをする店員も、怖いもの見たさで来る冷やかし客もいない。  本当に旨い酒を飲み、会話を楽しむ隠れ家的な店になっている。この店の居心地の良い空気感には理由がある。それはオーナーであるラン子ママの了承が無いと店のドアすら開けられないというルールに基づくものだった。  しっとりとした薄暗い空間には、よく見ると数組のカップルが肩を寄せ合って自分達の世界を満喫している。ひとり、バーテンダーのタクミと話をしているのは笹木だけだった。  カラン、とまた来客なのかドアが開く。だが入ってきた人物は「あらあ、笹木さんじゃない。いらっしゃい」と店には少し似合わないテンションで笹木に声をかけた。 「ラン子ママ、ご無沙汰しています」  ほんとにね、とラン子ママと呼ばれた年配のオネエは派手に青く塗られた瞼を細めて気のいい笑顔を見せた。 「今日は世間様ではお盆休みでしょう? 笹木さん、お仕事帰りなの?」  シャツに黒のスラックス、隣の空いているスツールに上着と荷物を置いている笹木の様相にラン子ママが問いかけた。

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